菅氏ではなく、日本の国家と国民の資質が問われている。

 事故以来二か月半以上経過したにもかかわらず、福島第一原発の放射能漏れを収束することもなく、むしろ炉心溶融という最悪の事態に到っている状況のまま一国の首相が海外の会議で何を喋ろうと相手にされないのは当然だ。国際社会にとって日本が迷惑行為をしているのは誰の目にも明らかなのだ。その国がどんな自然エネルギー政策への転換を謳おうと、技術力の裏打ちに疑問符を呈されても仕方ないだろう。


 


 一国の首相が原発事故の初期対応で誤ったとされ、それ以後も情報隠しを行ったとされていては誰も信用しない。国内でも政権基盤は支持率の低下と退陣要求の渦巻く国会を抱えてすっかり弱体化している。いや、そもそも小沢氏とその仲間を政権から排除した布陣で、菅政権は片翼飛行の弱体政権だった。それを理解せず、大手マスコミの囃す「政治とカネ」の合言葉に乗って「小沢叩きが支持率上昇」と勘違いした。あとはひたすらパフォーマンス頼りの政権維持だった。そこには問責決議を受けて官房長官を罷免した仙谷氏がいつの間にか返り咲いて、官房長官然として記者会見を仕切っても大手マスコミの記者たちから「筋違いでは」という質問すらなかった。


 


 そして本人が政治資金規正法に定める禁止事項「外国人からの献金」に抵触していたにも拘らず、返金したから良い、とする態度に大手マスコミは一切追求の狼煙すら上げない。小沢氏に関してはあれほど執拗に検察リークの捏造疑惑を連日報じ続けた悪辣さと比べれば、何という隔たりだろうか。大手マスコミは相手を見て記事を匙加減する、という公正・公平とは程遠い連中の集まりのようだ。報道機関の倫理規定はどうなっているのだろうか。


 


 さて、事ここに到っても「急流で馬を乗り換えるのは良くない」なぞという大手マスコミがいる。菅氏が大災害に尽力しているこの時期に「菅下し」でもないだろうというのだ。しかし本当に菅氏は急流を渡ろうと馬を乗り出しているのだろうか。とても、そうとは思えない。今も対岸をうろうろして大概の火事を見守っているだけではないだろうか。それが証拠にいまだに復興会議が出来上がっていないではないか。それなのに、やれ増税だ、やれ社会保障費負担増だ、と景気を冷え込ます言辞を弄して財務省の機嫌を取り結ぶのに汲々としている。政治家としてこれほど愚かなことはない。


 


 別勘定の「数十兆円規模の復興公債」発行スキームをたちどころに決めて、機動的にカネを地方へ仕送りすることだ。そして地方が復興構想を決めて実行することだ。そのために障害となる中央政府の規制は大幅に緩和し、あるいは『特別措置』で地方が十分に復興策を講じれるようにフリーハンドを与えることだ。たとえば町を高台へ移すというのなら鉄道も海岸線の現状で復旧するのではなく、大胆な路線変更も地方自治体とJRの話し合いだけで出来るようにすべきだ。国は地方を縛りつけている手枷足枷をすべて外すことだ。そしてこれをモデルケースとして「地方分権」のお手本とすべきだろう。地方は霞が関の官僚が思っているほど無能ではない。


 


 むしろ地域の問題を最も良く知るのは地方自治体だ。国は役割と予算と権限を地方へ移譲して、役場を縮小することだ。国の役目は外交と国防と社会保障の骨格だけだと制限すべき時代に差し掛かっている。東京生まれ・東京育ちの国会地方選挙区議員に、地方の何が分かるというのだろうか。政府の役目は様々な会議に時間を割くことではなく、速やかに紐付きでないカネを地方へ仕送りすることだ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。