そもそも大阪都構想とは何だ。

 一つの大きな行政区を設ける、というのなら大阪府とどう違うというのだろうか。大阪都にすれば東京都と同じように都下の市町村をすべて呑み込み、併呑して大きな直接行政区を設けようということなのだろうか。


 それならそれに到る過程として合区する、ということに何の意味があるのだろうか。そして合区して区長公選制にする、というのにも意味があるのだろうか。まさしく東京都の真似で、区長を公選制にすれば新たな市町村長が出現することではないだろうか。


 


 つまり問題とすべきは府県の存在なのだ。中二階と揶揄されてきた行政の中継拠点のような府県が必要なのか、という議論をもっと起こすべきではないだろうか。


 たとえば地理的な要素で明治時代に藩の区分けに準拠した府県境を設けたが、交通・通信の進歩は飛躍的で、工業・商業の勢いも当時とは大きく異なり、府県の区分けが大して意味を持たないどころか、むしろ邪魔になってさえいる。


 


 いや、府県だけではないだろう。平成の大合併をしてもなお、市町村の境界が大きな工業地帯の一筋の川であったり、大きな商業地域の一本の道路であったりと、大した必然性も意味もない境はある。


 しかし行政の区分けとはそうしたものだ、という声もある。あまり行政区を大きくすると一つの自治体が住民を把握して様々なサービスや徴税を執行するのに住民の顔が見えなくなってしまう、という声だ。


 


 時代によってファッションは変わる。ダブダブの服が流行ったり、ピッタリと体にフィットする服が流行ったりする。しかし時代の趨勢として行政区は細やかなサービスが必要とされる半面、より大きな観点からマクロ的な行政も必要とされるだろう。そうすると府県というものの存在が煩わしくなりはしないだろうか。極端な言い方をすれば国と市町村があれば良い、ということだ。ミヤコでもないところを「都」とすることにどれほどの意味があるのか。言葉先行ではなく、実態として「行政とは何か」と一人一人が考える必要があるようだ。



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