世界の協力を得て原発事故に全力で当たれ。
原発大国は米国だ。全国で100基以上の原発が稼働中で、スリーマイル島原発事故以来凍結していた原発建設を、オバマ大統領は新規に踏み切ろうとしていたところだ。深刻な福島原発事故のニュースに接して、米国内で原発反対が高まるのを恐れ日本へ原発事故処理に協力すると申し出ているのは何も日本のためだけではない。
同じように世界二位の原発大国仏国が日本に原発事故処理に協力を申し出ているのも同じ理由からだ。事故対策への協力申し出を断る理由は何もないし、たとえ日本独力の対応で処理できるとしても、これまで放射能を撒き散らした事故処理が正かっといえない以上、協力を仰ぐのは当然すぎるほどだ。
今回のような事故を招いた原因の一つに日本の原子力事業の不健全性にあるといえるだろう。原発が「絶対安全」などと出来もしないことを地域住民に宣伝して、誰も異論を挟めない状態に重大な病理が見て取れる。学者や技術者が「安全」といっていたのは、想定した範囲内での地震や津波しか起こらないとした上でのことでしかなかった。そして1000年に一度といわれる今回の地震と津波は当然想定しておかなければならなかったはずだ。地球規模からいえば1000年に一度とは頻繁にあるということだ。それを想定していなかったというのは余りに無頓着というしかない。それなら他の原発はどうなのかと、むしろ心配が湧き上がるのが当然ではないだろうか。
そして東電に配慮してそうした問題点を指摘しなかった原子力安全委員会や安全保安院とは何者だろうか。原発の安全性に警鐘すら鳴らして来なかった大手マスコミとは何者だろうか。そして現在も電力会社や経済界に配慮してなのか、「脱・原発」を基本方針にしない日本政府とは日本国民の命と財産を守る政府なのだろうか。福島原発の参事を経験しても基本的に自然エネルギーへ転換する、と宣言しない政府は国民のための政府なのか存在理由を疑わざるを得ない。
東電が資金繰りに困窮しているというニュースが流れている。これまで膨大な広告宣伝費を投じて電力会社への批判を抑えていたようだが、原発事故が起きてしまえばそんなケチケチした経営方針がいかに馬鹿げたものだったか如実ではないだろうか。小さな批判を恐れて地域独占企業が「広告宣伝費」を浪費して反対論者を抑え込み、「原発は経済的だ」というトータルコストすら算出していない発電方式のコストを賛美していた公認会計士などは愚者の標本のようなものだろう。
そうした当たり前のことが捻じ曲げられて世間に報じられ、国民も何となく安心してきたのが「原発安全神話」の実態だ。科学者も電力会社から拠出される「研究費」という贈賄に汚染されて正しい批判ができにくい状態になっていたとしたら重大な問題だ。国民は何を信じれば良いのか分からなくなる。科学者から良心が失われれば目的のための暴走が始まるだけだ。何が何でも原発は安全でなければならなくなるし、経済学者も電力会社から研究費を頂戴していたら、放射性廃棄物最終処分場すら建設されていない段階で「原発は発電コストが安価だ」と発言して恥じなくなってしまうのだ。さらに電力会社の宣伝費まみれにされてきた大手マスコミは原発に批判的な科学者を登場させてこなかったし、批判的なニュースを一切報じてこなかった。
かくして原発現場はモラルが崩壊して地震直後に大勢の原発スタッフが緊急停止した原発から逃げ出したのだ。おそらく中央制御室の警報ランプの多くが点滅し、警報が鳴っていただろう。彼らが素早く対処していたらもう少し事態がこれほど悪化していなかったのではないだろうか。非常電源も最初から艦船を原発の埠頭に横付けして送電していればこれほど長期化しなかっただろう。
起きている事態の全体像を把握して的確に対処する「危機管理」ができていれば、これほどモタモタしなかっただろう。しかし「安全神話」のある原発に事故対応のシュミレーションが必要ないとされてきたのは当然といえば当然のことだ。だから「安全神話」が今回の原発事故の直接的な原因だといえる。「安全神話」の胡散臭さを指摘してこなかった大手マスコミも同罪だ。福島原発事故は日本的な「赤信号をみんなで渡れば怖くない」式の結果だ。その病理は小沢氏の「政治とカネ」批判と全く同じ根っこだと分かるだろう。