地域の復興は地域の力で。
かつて町造りといえば補助金の紐付きコンサルタント会社が東京からやって来て、町の歴史などをサーッと資料などでなぞって、その時々の「流行り文句」をコンセプトに据えてコピーして継ぎ接ぎしたような「町造り策提案」なるものを提出し、それを後生大事に有り難く頂戴して地方の町造りの指針としたものだ。
そんなバカなことは止めよう。流行り文句を町造りに取り込むこともどんな意味があるというのだろうか。それらは時代とともに変わり「活性化」や「活力」といった漢字から「にぎわい」や「やすらぎ」などの仮名表現になったりした。しかし言葉ありきで町はできるものではないし造ってはならない。まずそこに暮らす人たちの生命をいかにして守るか、ということが大切だ。次に財産も守られれば越したことはないが、たとえ失っても財産は命さえあればまた働いて稼げば良い。
地域の合意がすべての公共事業を20mの防潮堤造りに投じる、というのならそれでも良いだろう。いや大きな防潮堤を造るのではなく、漁業の町では暮らしと海を切り離さず、津波が来れば財産をみんな波がさらって海へ持って行けば良い、しかし命だけは津波シェルターで守る、という考え方もあるだろう。それぞれに長所と欠点がある。その選択は地域の人がすれば良い。他の者が「ああだ、こうだ」と知ったかぶりして指導しないことだ。
かつて町造りを東京のコンサルタントに丸投げしたことから全国の町が何処も彼処も似たような町になってしまった。当然のことながら、津波に繰り返し襲われる歴史を持つ町の「町造り」は津波を考慮しないで行われてはならない。後は津波対策としてどの程度のことを行っておくのかを議論しなくてはならないだろう。
県が各市町村の案を取りまとめるのは当然のことだが、指導は最低限にすべきだ。従前の国や県の指導に何があって、かくも悲惨な津波被害に遭っているのかを県は反省しなければならない。つまり国や県は大した有効策を行ってこなかったと実証されたのだ。真摯な反省に立てば余り大きな顔をしないことだ。予算は各市町村に付けるが口出しはしないのが最も望ましい。