企業の社会的責任とその社員

 東電経営陣が組合に対して年収の20%カットを申し出ているという。それに組合が応じるかどうかだが、東電社員の平均年収は約757万円だといわれている。地域独占の競争原理の働かない会社の社員給与が公務員給与に準拠しているのは良くあることだが、一般国民の平均給与が426万円なのに対して余りに傍若無人な振る舞いではないだろうか。


 


 原発補償により東電が破綻するなら破綻させれば良い。そうした厳しい経済原則の適用なく、国家により肩代りし、結果として国民全員の負担により「原発安全神話」に巣食った利権構造を温存するのはたまらない。


 JALの時にも経済原則で破綻させていれば経営者や社員の危機意識がもっと違ったのではないだろうか。いまだに親方日の丸の丸抱え意識から脱却できないでいるのではないだろうか。


 


 東電も電気工事会社など、莫大な下請け会社を抱え、電気事業の現場を担当している社員が何人いるというのだろうか。一般民間会社の厳しい企業間競争と製品の安定供給は極めて当たり前のことだ。それを発電量が少なくなったから「計画停電」だとして電気供給を切断したのは電気事業者としてあるまじきことだという認識すらなかった。それを大手マスコミは一切批判することもなく、「計画停電」に協力しようとキャンペーンすら張った。いかに東電が大手スポンサーだとしても、国民のみならず世界に対して被害を与えている現実にもっと厳しく対応すべきではないだろうか。


 


 たとえば大手マスコミの一社が地震などで輪転機が破損して一部地域に配達できなくなれば間違いなく競争相手に顧客を奪われてしまうだろう。電気事業者は地域独占体制だから顧客に選択権はない。それだけに電力の安定供給は至上命題でなければならない。


 東電は当然市場原理に従って破綻させるべきだ。電気事業者として恵まれた親方日の丸の経営環境に胡坐をかいて、原発の安全確保を怠った罪は東電の全社員にある。破綻は決して厳しすぎる処分ではない。自由市場経済では当たり前のことなのだ。


 


 しかるべき後に第二の東電を再出発させればよい。原発事故賠償責任は新しい東電にも引き継がれる。そうした厳しい態度で臨まない限り第二の福島第一原発と同じような事故は必ず起きる。浜岡原発や島根原発やこれまで重大事故ではないが事故を起こしてきたり、定期検査を延ばして実施したり点検個所を飛ばしてみたり、そうしたことをやっていた原発が本当に安全なのだろうか。企業体質は必ず温存されいつの日にか重大事故に繋がる。


 1000年に一度の大災害だ、いや福島第一原発で15mの津波は想定外だったとはいわせない。歴史にその程度の事故は記載されているし、警鐘を鳴らした学者だっていたではないか。それを「なんとなく安全」だとして無視し、20を超える関係外郭団体が原発に群がって揃いも揃って無能だったのだ。何があっても原発で放射能を撒き散らす事故があってはならない。事ここに到っては全国の原発は止めて原則廃炉とすべく工程表を作ることだ。


 


 国家財政の膨大な借金に関しては「次世代にツケを残してはならない」とのたまう評論家が次世代どころかプルトニウムの半減期だけで2000年もかかる放射性廃棄物のツケを子々孫々に与える原発を擁護・推進する神経と思考回路は理解できない。しかもウランも無限ではなく、100年程度で枯渇するといわれている。原発の恩恵に浴さない子孫が永遠に放射性廃棄物の管理をしなければならない。このおぞましいほど残酷な想像をしない評論家諸氏は究極のジコチューだといわなければならないだろう。


 


 福島第一原発事故を境に、日本は自然エネルギーの利用に大きく舵を切ろう。地熱発電は景観に良くないとか、発電量が少ないとか批判する人がいるが、安全が何よりも必要だ。子々孫々に受け継がせるエネルギー源として現在を生きる日本人が胸を張れる立ち居振る舞いを行おうではないか。本心では「原子力は危ないが、事故が起こるまでは安全だ」と思いつつ原発利権に群がっていた良心への誤魔化しは止めて、潔い本来の日本国民に戻ろう。そしてそうした国民性も子々孫々への遺産として残そうではないか。



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