知識の伝承「バカの芽」。

 まだ30代で子育てに仕事に付き合いにと忙しかった頃、この時期になると何処からか父が木の芽を摘んできて食べさせてくれた。若者の味覚には別段これといった感慨はなかったが、母は「美味しい」と言っていた。それが「バカの芽」だと父が教えてくれたが、「バカの木」があるわけではなく、多分悪い冗談を言っているのだろうと思っていた。


 


 年を経て父が亡くなり、この季節が巡って来ると「バカの芽」が思い出されるようになってきた。しかし「バカの木」がいかなるもので何処に生えているのかすら分からない。生前の父にきちんと聞いておくべきだったと悔やんだものだ。


 


 今年も春が巡ってきて、ついに調べてみる気になってネットを「バカの芽」で検索すると、果たして「コシアブラ」の木の芽だと載っていた。しかも「バカの芽」は広島県北広島町で言われていることだということも判明して、父が悪い冗談を言っていたのではないことも分かった。


 


 私の父の祖父と祖母は広島県北広島町とは峰で接するすぐ隣、島根県の寒山村の出身だった。おそらく祖父と祖母は孫に美味しい木の芽を「バカの芽」と言って教えたのではないかと思われる。


 当然かもしれないが、私は父の祖父母と面識はない。ことに曽祖父は慶応二年という江戸時代の生まれで、私にとって遠い存在の人だったが突如として目の前に現れたような気がした。「バカの芽」という言い方によって私の古い記憶と繋がったのだ。


 


 さっそく「コシアブラ」の写真をプリントアウトした紙切れを持って近所の山へ行った。一時間近く歩き回ったがなかなか見つからず諦め掛けた時に写真と同じく一つの苞から数本の新芽が芽吹いている広葉落葉樹を見つけた。それは見上げるほど高く、細い幹がすっと伸びて上の部分にしか新芽を付けていなかった。


 


 父が「採るのに苦労する、」と言っていたのを思い出した。なるほどひょいと手を伸ばして採ることはできない。しかるべき高枝鋏を持参しなければ採取は無理と諦めて、眺めるだけで帰った来た。


 考えれば当然のことで、人が天麩羅などにして美味ければ草食動物にとっても御馳走のはずだ。それなら低層に新芽を吹いてもすぐに食べられるため、高層にしか芽をつけないのは自明の理だろう。父が簡単に採取できないと言っていたのも頷けた。来年のこの時期には採取して、私の倅に「バカの芽」を教えようと思う。おそらく興味を示さないだろうが、それも知識を伝承すべく私に課された役目の一つだと割り切って話すつもりだ。



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