災害復興に向けて

 あの日から三週間以上経って、各部署・各立場で災害復興へ向けてやっと足並みが揃ってきたのか、という感がする。その陰ではこの危機に際して相変わらず過去の前例に従う「福祉」を担うべき人たちの判断に一種の権益擁護の姿勢が感じられて厭なものがあった。


 


 日赤のもとに集まった義援金が未だに現地に配られず、早急な支援が必要な人たちが救われていない現実には唖然とする。復興支援とは「助成」をすべきが本質で炊き出しの肩代わりをすることではない。現地の人たちにお金を支援し、資材を提供し、不足している重機の手配をすれば、現地の人たちが自ら働くだろうし、その方が生活支援に繋がるだろう。


 


 すべてをボランティアがやればガレキの片付けをする業者は仕事を奪われたことになる。各地で炊き出しをすれば惣菜屋や弁当屋は仕事を奪われたことになる。今後とも生活支援を行えば街の日用品を商う商店は客を奪われたことになる。物事には必ず光と影があり、影の部分にも目を配らなければならないのは言うまでもない。


 


 それならどうすれば良いのか。当面の暮らしに必要なお金を渡すことだ。瓦礫さえ片付けば元の所に家を建てたい人だっているだろう。元の商店街を復興させたい人だっているだろう。津波対策は津波対策として、より大きな防潮堤を造るのか、それとも海を隔てる堤防よりも津波シェルターとなる鉄筋コンクリート造りの複合的な建築物を海岸近くに作って、津波の襲来時には丘に逃げる暇のない人たちを収容するシェルターとして使えるものにしておくとか、いろいろな考え方があるだろう。それはその地域の人たちが話し合って選択すれば良い。


 


 ただ、すでに「トモダチ作戦」の勘定書を幾らと書いて出すべきか、日本政府に打診したかのような米軍の話にはがっかりさせられる。総額で69億円かかった負担割合の話し合いに入るようだ。日本人ボランティアはタダで旅費まで自己負担で出向いているというのに。


 


 自民党の谷垣氏は菅氏から持ちかけられた「大連立」を断ったようだ。賢明な判断だろう。あたかも災害復興による国家の公共事業の十年分を超える巨額な公共事業費に群がる利権集団にせっつかれて連立に前のめりな自民党の族議員はがっかりしたかもしれないが、従前の省庁による制度事業や補助事業で行うのではなく、災害復旧は全額を地方に渡して地方が事業配分と事業内容を決めて支出することだ。それこそが民主党の掲げる「地方分権」ではないだろうか。


 そうすると地方の小ボスが公共事業を仕切るのではないか、という反論が聞こえてきそうだが、地方の小ボスは公共事業が完成して終わってもその地で暮らす。すべての責任を子々孫々引き継ぐのだ。東京の大手ゼネコンが仕事が終わればさっさと帰って、二度と地方を振り返らないのとは大違いだ。


 


 これを好機と「小金を稼ごう」と考える連中は地獄へ堕ちるだろう。それは災害により延命を考え、その方策に「大連立」などをちらつかせて奔走する菅政権にも同じことが言える。無能・無策な連中は一日も早く自身の力量のなさを見極めて身を退くことが必要だ。政治とはクリーンで無能・無策・居座りよりも、剛腕で少々の軋轢を生もうとも国民の生活を守る政治の方が良いのは言うまでもない。



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