官製政治への反感だ。

「名古屋は特異だ」といった民主党の選対責任者はこの国で何が起こっているか、何も分かっていないと断定せざるを得ない。


 たしかに大勝には河村氏の際立った個性も寄与しただろうし、劇場型選挙を意図した面もあるだろう。しかし有権者は敏感にこれまで続いてきた政治が国といわず地方といわず、すべて官僚に操られてきた、実質の主人は官僚であって政治家は任期の間だけ官僚によって神輿に担がれた飾りに過ぎないのではないかと思う人が増えてきているような気がする。


 


 政治家が国民から選挙で選ばれる最大の理由は官僚独占の行政(税の徴取と使い道の決め方)に国民の希望を反映させることにある。もちろん就職以来営々と専門的に仕事をしてきた官僚と、選挙で当選しただけの政治家とでは知識と資質に大きな落差がある。ことに近年のパフォーマンス上手の名の売れたタレントが大量当選する時代を迎えて特にそう思わざるを得ない。


 


 いずれにせよ、政治家は国民の代表として政治を行うという建前だ。政治とは税や負担金を国民から徴収して国家や国民のために使うことだ。一義的使命は国民の命と財産の保全にあることはいうまでもない。


 しかしここに到って「どうも違うのではないか」と思う国民が増えてきた。税や負担金は国家と国民のために使われていると思うものの、官僚組織が肥大化し彼らが恣にしているのではないかという疑惑が浮上してきた。いや、そうした疑惑は以前から常にあった。しかし政治家が国民の立場から官僚をコントロールしているのではないかという淡い期待があった。大手マスコミもそのように政治家主導の政治が展開されているかのような報道を流し続けてきた。


 


 だが決定的に小泉氏の時代にバレてしまった。日本は米国の「年次改革要請」に従って政治を行っているとの内幕が暴露されてしまった。それを官僚が忠実に行政日程に上げ、政府が官僚主導のままに動いているに過ぎない、という事実が露呈してしまった。いかに大手マスコミが「郵政民営化賛成か反対か」と煽った劇場型選挙も、実は米国の民営化要請に従ったものに過ぎないと分かってしまったのだ。


 日本の官僚は実は米国の忠実な僕となっている。菅政権が増税路線に舵を切って米国の要請に従う姿勢を見せて政権浮揚と維持を図ろうとしている胡散臭さを、国民は敏感に感じ取っている。


 小沢氏がなぜ官僚組織の検察と大手マスコミから政界排除の策動を受け、現在もテレビ出演者などが口を揃えて悪し様に論評するのか、その「根」もバレバレになっているのに、当事者のテレビ出演者だけが気付いていない滑稽な構図になっている。


 


 官僚のお膳立てした税率をそのまま用いて、自分たちの既得権益、という飴を舐め続けたい名古屋市議会議員たちのお粗末さが露呈している。同じことが国会でもいえ、官僚の改革は全く進まないどころか「在任出向」という職務権限強化策そのものという天下りを容認してしまった民主党菅政権の官僚内閣制内閣の実態に国民はウンザリしている。ついに政治家による官僚改革なぞどきない、と諦めざるを得ないのかという怒りが渦巻いている。


 すべては小沢氏排除から民主党の右旋回は始まった。それは政治家が官僚の僕になるということだ。そして官僚の利権構造に言い訳程度に「事業仕分け」でお茶を濁して増税高負担へ邁進しようとしている。そうした事態に対する「ノー」が今回の選挙結果だと思わない選対幹部では四月の統一地方選挙ではもっと酷いことになるだろう。



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