箍の外れた日本の風俗。

 最近のテレビを視ていると驚くことが多い。何も固苦しい道徳論を展開するつもりはないが、ついつい苦言を呈したくなる。


 


 デカイ男が女装してみたり、ノッポの男が女装して一端の意見を陳述する、という場面に出くわして「何なのか」と疑問を呈する。何も女装する必要はないではないのか。男らしく装ってまともに意見を披歴する方が余程似つかわしいと思わざるを得ない。


 


 なにも女装趣味の男を弾劾するつもりはない。江戸時代からゲイボーイの「陰間」は存在していた。しかし、悪魔でも「陰間」であって、昼間の陽の光を恥じている風情があった。メンチを切って「ナニヨ」と恫喝するような胴間声を発することはなく、楚々として可憐な女を演じていた。


 


 更に驚くのは女装はしていないものの、女性の風情をした僧侶がいたことだ。江戸時代の「女犯僧」は重罪に処せられた。ましてや僧が人前で女を装うようなことは断じてなかった。それをこの平成の世の中で目にしようとは、自身の名を売るためなら何でもあれの風潮に慨嘆するしかない。


 


 それのみならず、彼らは若い女性の人生相談に応じたり、意見を垂れたりしている。ガタイのデカイ女装は週刊誌に随筆を綴っていると聞くと、週刊誌編集者のゲテモノ趣味に呆れ果てる。そして彼が女装して自らを社会に売り込んだ動機に疑問を抱かざるを得ない。少なくとも正攻法ではなかったのではないかと思わざるを得ない。


 


 楽しければナンデモあり、性差すらナイことにして扱うのがススンデイルとするのは飛んでもない勘違いだ。


 男女同権とはそのようなことではなかったはずだ。男女がそれぞれの性差を認めた上で、人間としてお互いの性を尊重し合う、ということではなかっただろうか。


 


 バカバカしい性倒錯の田舎芝居に腹も立たず、溜息を吐いてチャンネルを回した。「破戒僧」という言葉もあるが、僧侶として多くの者が自制的な真っ当な修行の日々を送っているのに反して、僧の身形をした者が女性的な言辞を弄してテレビに出演するとは何事かと、仏教界は叱らなければならない。直ちに授けた袈裟を取り上げ僧位を剥奪して破門しなければ仏教界の秩序は保てないだろう。


 そうすれば彼はコメディアンの一種としてテレビ業界で誰に気兼ねすることなく生きて行けるだろう。


 


 日本社会は肝心な所で箍が外れている。面白ければナンデモありとする風潮は決して良くない。


 社会に確たる原理原則がなければ飛んでもないことになる。たとえば裁判に起訴されるには「法と証拠」に基づく確たる犯罪事由がなければならない。「市民目線」で何となく「裁判でもしたら?」という程度の起訴でも、それを以て「党員資格停止だ」と喚く馬鹿げた党が日本の政権党だという愚かしい現実に、日本国民はいつまで耐えれば良いのだろうか。



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