「幼保一元化」を阻んでいるのは誰だ。

 保育園であろうと幼稚園であろうと、利用するのは幼児を抱えた世帯だ。それなら「幼保一元化」議論の出発は利用者からまず話を聞くべきが筋であって、官庁の綱引きを優先すべきではない。


 


 厚労省と文科省に分かれている保育園と幼稚園の設置目的に違いがあるから別々に存在して良いとしてきた。しかし預ける幼児に明確な線引きがあるわけでなく、母親が「働く」か否かで保育園か幼稚園かを選ばざるを得なくなり、保育待機児童はゴマンといるのに幼稚園は幼児不足でガラ空きだという。


 


 それで保育園を管轄する厚労省はニンマリとし、文科省は一元化して全国の通園児不足に喘ぐ幼稚園を救おうとしている。しかし問題なのは先生の免許が保育園と幼稚園で異なることだ。なぜそうなったのか、これこそ官庁の利権争いの産物であって実に愚かしいことだ。養育の相手となる幼児に保育園と幼稚園とで変わりがあるわけではない。たた通園開始年齢は決定的に異なる。保育園が0歳児から預かるのに対して幼稚園は3歳から6歳となっている。


 


 細かいことをいえば幼稚園は学校法人で就学前教育を目指すとかきりがないが、そんなことがどれほどの問題だというのだろうか。文科省の小役人が屁理屈をつけて幼稚園利権を手放さないだけで、同じことが厚労省の保育園にもいえる。そしてそれぞれに寄生する各種団体がゴマンとあり、それぞれに利権・天下りの縄張りが省庁間に存在することが一元化を困難にしている。


 


 もうバカバカしいことは止めようではないか。幼稚園と名乗るのも保育園と名乗るのも自由として、管轄省庁を文科省と厚労省の両方から取り上げてしまうことだ。無理に新しい名前を考えて補助金で誘導しようとすることは止めるべきだ。そしてどのように園を運営すべきかは経営者と利用者が話し合えば良い。国は規制を大幅に緩めて、幼稚園で保育をしようとするのならそれにも柔軟に対応して「施設整備」と「人員確保」にだけ目を光らせれば良い。いずれの免許所持者ともこの国に溢れているから、適正人員確保は困難なことではないはずだ。


 


 利用者と幼児を中心に考えるべきであって、省庁や関係団体の都合を考慮すべきではない。そうした省庁にまたがる課題を解決するのが官僚でない政治家の役割だが、出て来た素案は余りに官僚的な足して2で割り補助金給付という問題解決と称する焼け太りだ。


 官僚は自身が太ることだけしか考えていない。それを牽制し正すのが政治家だが、この国の政権に関与している政治家の面々を見る限りでは、政治家主導の解決は何事に対しても出来そうにない。



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