まず官僚の官僚による官僚のための国づくりからの脱却を。
退職後も優雅な暮らしをしているのは何も高級官僚だけではない。地方の公務員ですら定年退職後も外郭団体に再就職しているし、それほどハードでもなければ必ずいなければならないとも思えない仕事を続けている。その多くが政府が主導した「指定管理者制度」で外部委託せよ、とした事業で、外部団体に看板を掛け代えただけの実質的に官僚OBの運営するかつての外郭団体そのものの場合がほとんどだ。
つまり役所の肥大化した外郭団体を整理させようとした「指定管理者制度」だが、官僚は要件だけを適合させた従前の手法を変えていない。よって官僚の官僚による官僚のための行政は延々と継続している。
お年寄りを孤立化させないために社会的な仕組みを作るとしたら外郭団体をお年寄りの働く場に開放することも一つの方法だ。たとえば〇〇会館の管理団体にそれほど高度な資格は必要ないし、掃除やイベントの際の警備はその専門家に委託している現状からしてお年寄りが行うのに最適な仕事だ。それを官僚OBが囲い込んでいる現状は好ましいこととは思えない。たとえばシルバー人材センターの理事などに官僚OBが居座っているのも釈然としない。仲間内で仕事を盥回しして官僚が甘い汁を吸い続ける現在の構造を改めなければ何にもならない。
政府が本腰で「老人の孤立化を防ぐ」とすれば各自治体の社会福祉協議会あたりが「新しい仕事にありつける」と期待するかも知れないし、事実そうした方向へ動くのだろう。しかし社会福祉協議会の多くが公務員OBの腰掛となり、役所の福祉事業の「現業職」化している事実を改めない限り高コスト体質に変わりないだろう。社会福祉協議会も民間のNPO法人の一つとの位置づけであるなら平等に扱うことだ。今では社会福祉協議会もきめ細かく事業展開すべく地域社協という手足を小学校区単位へ延ばしているが、それが却って地域の溜まり場を奪っていることもあるということを考えなければならない。
まず官僚自体が変わることだ。官僚の官僚による官僚のための政治を打破しない限り、この国の根本のところで腐ってしまう。国民の代表たる国会議員が運営する国会が国権の長と位置付けられている意義を見失って、官僚組織の司法権や行政権の下請けになっている現状を変革しない限り出来ない相談だ。