検審会起訴がそれほど重大事なのか。
小沢氏が「強制起訴」されたとテレビ速報画面で踊っているが強制起訴なる文言は刑事訴訟法にはなく、正しくは「検審会起訴」ということだろう。ただし、検審会による起訴は刑事訴訟に定める検察当局による起訴ではなく、したがって起訴そのものの違法性が問われている。
また、検察当局の示した「不起訴」判断が覆されて起訴されたわけではなく、つまり小沢氏は今度の起訴により罪が確定されるまで検察の不起訴判断に基づく「無罪」状態が継続される。
上記のような解説は専門的なサイトで既報の事実となっているが、バカな政治家や大手マスコミの記者が逆上して「小沢氏が起訴された、」と騒ぎ立てないかと注意喚起のために記した。
さて本題に入ると、検審会起訴により検察当局と裁判所当局はのっぴきならない事態へと突入したことになる。
つまり検審会の正体が公判の過程で明白になるからだ。中には検審会委員の平均年齢が二回とも同じなのもアリと強弁する愚者もいるが、常識的に考えるなら捏造以外の何ものでもない。いや、小数点以下二位まで全く同じだというのは捏造だと断定して良いだろう。つまり第五検審会は存在しない委員によって議決されたことになる。
裁判の過程で第五検審会の二回目議決の審査過程を証する会議録の提出も求められるだろうし、補助員たる弁護士の証人出廷も求められるだろう。小沢氏側の弁護士は第五検審会議決の主旨を問う意味でも委員の何人かに出廷を求めるかもしれない。その場合に第五検審会事務局は今まで情報開示を頑なに拒んできたが、公判における証人要請ともなれば事務局都合で拒むことは出来ない。すべてが明らかにされる。それを願っていた。民主主義国家で第三者による検証不能な機関など存在してはならない。もし存在するなら法治国家ではなくファッショだといわなければならないだろう。
一番心配していたのはいつまでも起訴せずに小沢氏を宙ぶらりんのまま政治家としての足枷を掛けたまま放置することだった。そうすると2月7日に石川元秘書の裁判が始まれば彼に犯罪性が全くないことが明白になる。検察の見込み捜査による冤罪だと明白になるのは時間の問題だ。それは4億円に関しても期ズレに関しても既に以前のブログで明らかにしていることだ。そうすれば石川氏の共犯者に仕立てあげられた小沢氏も自動的に無罪になるのだが、それでは第五検審会の闇は解明されないままとなる。それを最も心配していた。闇は明らかにしておかなければいつ何時誰に対して適用されるか分からないからだ。
これまで散々「政治とカネ」なる呪文で小沢氏を貶めてきたプロパガンダ垂れ流しの新聞やテレビやそれに携わってきた似非ジャーナリストの諸氏は首を洗って待つが良い。我々はあなた方の所業を決して忘れないし、小沢氏が寛容な態度を取っても我々はあなた方の卑怯・卑劣極まりない報道人・評論家としてあるまじき行為を見逃すわけにはいかない。ジャーナリズムの場から退場するまで非を鳴らし続けるだろう。