何が何でもアナログ電波を止めるのが改革なのか。
デジタル化しなければ電波の割り当てが窮屈で将来的に新たな事業展開が出来ない、というのがデジタル化の錦の御旗だった。さらにはデジタル化で双方向放送が可能となりサービスが格段に向上する、という謳い文句もあった。しかし現実にそうなのか、という検証がなされただろうか。
デジタル化で最も潤ったのは家電商売だ。原価的にブラウン管テレビより確実に安いと思われる薄型テレビが高額なまま推移したのも一時期集中的に需要が創出されたからだ。
そして今度はデジタル難民を救うために20万人も動員するという。その費用はどれほどかかり、誰が負担するのか、明らかにして報道してもらいたい。デジタル難民が出るのならこのままアナログ電波も出し続ければ良いだろう。そうした場合にどこにどのような支障が生じるというのか、総務省は的確な情報を国民に開示すべきだろう。
万が一クレーマーがいてアナログテレビを買い替えなかったとして「映らなくしたのは国の責任だ」と訴えた場合に国は訴訟を受けて立てるのだろうか。使用出来ている機器を一方的な理由で使用不可能にする権利が国にあるのだろうか。
かつて車の排気ガス規制が年々厳しくなった時期がある。新車は新排気ガス規制適合車でなければ販売できないが、旧来の車に公道を走るな、という規制はなかった。しかしテレビの場合は一方的に電波を止めるという。こうした行為が合理性を持つのか、政府は法律の専門家と法廷闘争の研究をしておく方が良いだろう。さもなくば十年程度アナログ電波も止めないことだ。そしてその間にデジタル波の優位性を使用者に納得してもらえる利用方法を国民に提示することだ。
強引にやって碌なことはない。20万人の人件費は誰が負担するのか。役人が負担しないからどんな費用対効果で不合理性があっても役人は平気だ。目的さえ遂行できれば良いのだ。足らなくなった国庫は政治家を使って増税すれば済むことで、増税により選挙で落選しようと官僚には関係ないことだ。かくして官僚天国は延々と続くことになる。