刑事事件の起訴だから民事判断はなじまない、というのは。

 検察審の議決に基づく強制起訴という手続きが刑事訴訟という判断で良いのか、それとも検察審査会という機関の存在が行政的なのかそれとも刑事的なのかという判断が必要なのだろう。そこで改めて検察審査会の設置場所からその働きと検察の代理として刑事訴訟権を委託された機関とみなすのか、それとも便宜的に刑事訴訟の公訴権を独占してきた検察の権限の一部を委譲されている機関とみなすのか、という法的な位置づけが必要となる。


 


 ここで名称を考えなければならない。「検察審査会」という名称から検察の一部であるかのような印象を与えるが、設置されている場所は裁判所だ。それが検察判断が適切かどうかを巡って審査し、以前は「起訴した方が良いですよ」という勧告だけに止まっていた権限が昨年五月に大幅に拡大され「強制起訴」出来るようになった。そうすると検察審査会の存在も法的に変貌したと考えなければならないだろう。


 以前の「勧告」だけに権限が限定されていた段階では検察審査会は検察傘下の機関の一部として機能していたと見做される。つまりどのような議決を為そうとも、被疑者への直接利益には関係なく最終的には検察の「法と証拠」に基づく判断に公訴権は委ねられていた。


 しかし改定により検察審査会は検察の公訴権とは別に「強制起訴」という公訴権を獲得した。つまり検察傘下の機関と見做すのは適当でないと思わなければならなくなった。


 


 たとえばNHKなどの「経営者会議」などの諮問機関はNHKの経営者の傘下にある。しかし企業会計の監査を行う「監査法人」は企業とは独立した機関だ。実際企業経営者の影響を受けていてはまともな監査はできない。


 検察審査会は検察とは独立した機関でなければならないのはその設立趣旨から明快だろう。以前もそうであったはずだが、公訴権を持たない「勧告」しか権限を有していないためNHKの経営者委員会ほどの存在という認識だったのだろう。それでは検察審査会への訴えは検察内部の機関に対する訴えと認識しても大して問題はなかった。しかし公訴権を付与された段階で検察審査会は劇的な変貌を遂げたといわざるを得ない。


 


 本来、検察審査会は裁判所内に設けられた検察を弾劾する組織であったはずだ。二度の議決を経た上だとしても、いきなり検察が不起訴とした被疑者を強制起訴するというのは法的にいささか乱暴に過ぎる。しかも今回の小沢氏の件についていえば同じ検察審査会委員が同じく起訴すべきとしたのではない。つまり「二度」起訴すべきとすべきとした場合は強制起訴、というのは起訴という強権発動に関して慎重であるべきとする意思の表れであったはずだ。それが別の委員により別の補助員をつけて行ったというのであれば、一度目の議決を二回繰り返したに過ぎない。「二度」と慎重を期したはずが何にもならなかったわけだ。


 


 しかも検察を飛び越えて強制起訴を検察役の弁護士が行うということは起訴議決に当たって被疑者が弁明を行う場を設けなければ公平な判断とはいえない。そして今回のように審査べきとされた範囲を逸脱して別の件を判断に加えて議決したのは、審査事件として検察審査会に委託された審査権を逸脱した不当なものだ。これが許されれば検察審査会で審査される事件の被疑者は過去のあらゆる件で強制起訴されることになりかねない。何という愚かにして恐ろしい暴挙であろうか。


 それほどの強制権を持つ機関に対しては当然起訴される側の権利も確保されなければならない。手続きに不法な部分があれば異議申し立てを受けて裁判手続きに入らないで玄関払いするのが順当だろう。そして何よりも検察審査会委員が秘匿され審査する会議も秘密会である以上、何らかの手段で起訴される側の権利も担保されていると判断するのが法律の作り方から当然だろう。監査法人には監査に対して責任を伴い、場合によっては刑事罰を受ける。検察審査会委員は強制起訴判断に対して何ら責任を負わず、記者会見の一度として開かない不透明な存在をゆるすからには起訴される被疑者の「異議申し立て」の権利を認めなければ中世の魔女狩り以下の国家に日本はなったといわなければならない。検察審査会が行う強制起訴は国から委託された特段の公訴権の行使と見做さなければ検察に付与されている公訴権限への侵害となるだろう。小沢氏の行政訴訟はナンセンスと切って捨てるのは行政処罰に対して一定の異議申し立てを行う権利をナンセンスといっているのと同じことだ。検察審査会は法律理論を専門的に学び日本の国の法律に一定水準以上の見識を有しているとは思えない「市民」の判断を議決とするのであれば小沢氏の「異議申し立て」は当然の国民の権利だ。そして人を法廷の場に引っ張り出す議決をする強制的な権限を有する委員が秘匿されたまま全く責任を問われないというのも法のあり方から認められないだろう。責任を問われるのなら自由な審査が出来ない、という検審会委員の経験者による全国組織会長(このような組織が存在すること自体が怪しい。どんな目的の組織でどのような活動をしているのか。会の運営経費は何処から出ているのか。そして委員の氏名が固く秘匿されているはずが、いつの間にか全国組織として活動している不合理をどのように説明するのか)の談話があるが、自由な審査は無責任な審査ではないはずだ。人に強制起訴の議決を下す権利は反対に重大な責任を伴うのは当たり前のことではないだろうか。



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