みたぞの某は何様だ。

 野次馬プラスという番組だ。テレビを点けたらみたぞの某や局アナたちが寄って集って小沢ガールの一人三宅氏を責め立てていた。曰く、小沢氏は説明責任を取れ。曰く、離党などのケジメをつけろ。等々などと検審会のバカげた議決を突きつけて「推定無罪」の原則も「基本的人権」も無視した小沢氏への攻撃に終始した。その執念たるや常軌を逸したもので、小沢氏を頭から罪人扱いするものだった。


 


 みたぞの某は一体何様のつもりだろうか。検審会は不適切な審議内容で「白黒を裁判でつけろ」という議決を出したのだ。その議決内容自体が日本の裁判制度そのものを揺るがすものだという認識もなく、さらには議決の基となった事実に検察の判断にない部分まで含まれるという重大な瑕疵のある議決であるにも拘らずにだ。


 


 たとえば「万引き」を疑われ一審で無罪となった人が控訴審ではいつの間にか「万引きもしたかもしれないが痴漢もした」とされていたようなものだ。検察は小沢氏が収支報告書の期ズレを承知していたかどうかを問題とし不起訴判断を下していたのだが、検審会では期ズレとは別に更に土地購入資金も「疑わしいぞ」と付け加えそのことで起訴すべきとした。こんなことは許されるべきでなく、別の事件の検察審査としなければならないものだ。テレビでの政治評論ではいざ知らず、法律では味噌も糞も一緒にしてはならないとされている。


 


 そうした検証もなく、検審会議決が金科玉条であるかのようにマスコミは取り上げている。しかも検審会委員の平均年齢が30.9歳と検審会事務局は籤で決めたといっているようだが、そうした無作為による決定方法だとは統計学的には到底信じられない。マスコミはなぜこのような単純な疑問を発しないのだろうか。しかも委員の名はおろか、委員選考経過から審議内容審議経過から議決文の作成と補助弁護士のかかわりまで、説明してもらわなければならない事項は小沢氏に対するモノよりもはるかに多く、不透明さに対して疑問を呈さないマスコミの体質とは何だろうか。


 


 検審会は今回の議決に際して「白黒を裁判でつけてもらう」として起訴するというのだ。なんとも愚かにして恐ろしい議決をしたものだ。一般人が刑事訴訟で起訴されれば社会的にどのような扱いを受けるか、検審会委員は想像したことがあるのだろうか。ましてや政治家が法廷闘争を強いられる事態がどれほど過重な負担を強い、政治的基盤を失いかねない重大な事態だという認識があるのだろうか。「疑わしきは被告人の利益」というのが法の精神だ。検察が問題にもしなかった事柄を勝手に疑わしいと思い込んで検審会が起訴するとは「人民裁判」そのものだ。もしも検察が起訴しなかった事件を検審会に起訴させる仕組みを検察が手に入れたとしたら法治国家は過去のものになったといわざるを得ない。そうした想像力もなく、検審会議決を嵩に着て三宅氏を責め立てたみたぞの某は間違いなくジャーナリストではなく、マスコミの後追いをする調子者の一人に過ぎないといわざるを得ないだろう。



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