揮毫を求められて誤字を書くよりは
揮毫を求められた小沢氏は自署だけして「白紙」のまま出した。討論会に臨むにあたって、「虚心坦懐」という小沢氏の心境だろう。しかし虚心坦懐と書くとその文字に制約されることになる。
普天間移設問題に関して、小沢氏は「案があるわけではない」と言った。すると愚かな記者たちは「案もなく辺野古沖を見直すのか」と非難した。底の浅い人間は底の浅い反応しかできないものだ。
日米合意を尊重する、というのに変わりはないが、出来もしないことを強引に手続きだけを進めるのが現実的なのだろうか。辺野古沖移設は公有水面埋立が前提となるため、沖縄の合意がなければできない相談だ。自民党時代には毎年100億円もの地域振興開発費を注ぎ込むことにより同意を取り付けていた。しかし、鳩山氏が「最低でも県外」と言ったために賛成していた県知事と県議会に住民が拒否反応を示し、慌てた知事と県議会が住民の意思に引き摺られて反対を表明した。結果として毎年100億円を10年間もふんだくっていて、沖縄は辺野古沖案を拒否することになった。
もはや事態は元に戻らない。振興・開発費の多くはハコモノに化け、いろんな施設に化けた。沖縄利権に群がった政治家や建設業者が幅を利かせ、一時的に沖縄経済が潤っただけだ。
しかしハコモノは維持管理費を必要とする。今後巨額な沖縄振興・開発費が止まれば沖縄県と自治体はこの10年間に造った施設の維持管理費に押し潰されることになる。
そうした構図は原子力発電所建設と全く同じだ。1号機を作れば建設に伴う地元への巨額な「電源開発費」が交付される。概ね10年間ジャブジャブの予算で地域に不相応のハコモノを造ってしまう。すると開発費が切れれば地域経済が持たなくなる。したがって1号機さえ造らせてしまうとそこには2号3号と次々と建設せざるを得なくなるのだ。
沖縄がそうだとは言わない。しかし政府が強引に日米合意の手続きを進めるのはそうした原発の手法を沖縄に用いて、すでに巨額な蜜の味を沖縄に経験させた。あとは振興・開発費を止めれば沖縄も妥協しなければならなくなる、と踏んでいる節がある。それが沖縄にとって良いことなのか、これから沖縄県民の民意が問われることになるだろう。
しかし小沢氏はそれをやらない、と言っているようだ。沖縄と米国と納得のいく解決方法があるはずだ、というのだ。このブログで書いたことだが繰り返すと、辺野古沖案を最初に提示したのは米軍ではない。日本側なのだ。その経緯は守屋氏の著書に詳しく書かれている。そこに問題解決の端緒があると小沢氏は睨んでいるのだろうが、そうした考えを事前に開陳するほど愚かではない。
同じように小沢氏は自身が総理大臣になったら「国会運営を第一にする」と語ったが、内容を聞かれるとはぐらかした。すると記者は「案はないのですね」と具体的な道筋のない漠然とした話だと理解した。なんと単純な人だろうか。
野党の誰と話して「一本釣り」すると手の内を総理大臣になる前から明かす馬鹿がいるだろうか。それは枝野氏などのように「みんなの党が民主党に近い」なぞと選挙中に秋波を送るほどバカでないと言いたかったに違いない。連立とは相手の名が漏れた時は成立した時でなければならないのだ。
かつて日本男子は愛情表現で大声を出したりはしゃぎまわったりしなかった。好きな女から「好きといって」と言われて、黙って頷く程度のものだった。今どきの男はペラペラしゃべりすぎる。しゃべらなければ相手に真意が伝わらないのも理解できるが、言葉だけですべて信頼できるものでもない。小沢氏は「無言実行」なのだろう、菅氏は「有言無実行」なのか、「無言無実行」なのだろう。さて、揮毫を間違えた首相は漢字を読み間違えた麻生氏とどこか似ているような気がするが、果たしてどうなのだろうか。