「公会計制度」の虚構をあばけ。

  上記の表題で石原新太郎氏の提言が「産経ニュース」に掲載されている。かつてこのブログで指摘した通りの内容だ。石原新太郎氏の発言の多くで必ずしも立場を同じくするものではないが、この提言に関しては全くその通りだ。


 


 明治以来、日本の官公庁が採用している単式簿記による公的会計が会計制度としていかに稚拙なものか、石原氏も指摘している。先進国で単式簿記を採用している国はなく、かろうじて北朝鮮やフィリピンなどが採用しているに過ぎない、としている。


 


 単式簿記の何が稚拙なのか、というと国の定める財政法に明確な「会計基準」の規定が見られないことだ。つまり会計処理の多くは慣行と前例に基づいて行われ、監査法人による監査も義務付けられていない。いや、そもそも会計基準が存在しないのだから、監査のやりようがないともいえる。


 


 全世界の企業は企業会計を採用している。そこには企業会計原則があまねく適用され、それによって世界の株式市場で公開される各企業の「有価証券報告書」が適正な会計帳簿に基づいて作成されているとの前提で企業業績を判断して株売買の根拠に利用出来るのだ。


 


 当然、公会計も企業会計原則が適用され、まともな会計学を学んだ者なら官公庁の予算書なり決算書を見れば誰でも常識的に業績や危険性を判断できるようにすべきだ。それこそが公開の原則で、誰にでも分かる共通の会計処理がなされて、はじめてその原則が担保できる。官公庁だけは別枠の土俵に上がって相撲を取り、企業会計基準とは別世界に棲み続けることは不合理そのものだ。


 


 単式簿記の欠点はすでに学問的にも指摘されて久しい。継続性の原則に欠け、業績判定の資料としての財務諸表が存在せず、そして単式簿記の単年度主義により「不用額」の使い切りが様々な裏金の原資になっている。


 


 そうした不都合を連綿と続ける官公庁は単式簿記こそが官公庁にとっては都合の良い会計形式なのだろう。発生主義とも無縁で仮勘定による仮受金や本支店勘定もないため振替が恣意的に行われても外部から検証のやりようがない。いや第三者による検証そのものを排除した会計制度なのだ。


 


 世界基準に合わせるためにも、日本の官公庁も複式簿記へ改変し、会計基準を適用して全国の官公庁との連結決算を実施すべき時期に来ている。それでなければ二重行政の無駄を第三者が明確に指摘することは困難だし、会計責任者もそうした意識を持つことはない。なぜこれほどの財政赤字を積み上げても国も地方も公務員が平然と高額な給与を受け取ることができるのか、自分たちの足元が破綻の危機に瀕している自覚を持っていないからだろう。単式簿記とはその年度さえ何とか行けばすべての責任は回避されるからだ。



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