ネット世論は「政治好き」の偏った世論か。

 ある論評にお目にかかった。ネット世論は圧倒的に小沢氏支持だったが、実際の党員票は大マスコミの世論調査に近かったではないか、というものだ。


 


 確かに小沢氏は破れた。しかし大マスコミの世論調査ではおしなべて菅氏支持が70%前後で小沢氏は15%程度でしかなかった。実際には菅氏が約13万票で小沢氏9万票と大マスコミの世論調査ほど菅氏圧勝というものでもなかった。


 


 このブログで各社大マスコミの報じる「世論調査」は誘導された「世論」だと指摘してきた。小沢氏は一年半以上も「政治とカネ」という検察により権威づけられた情報を国民にいやというほどタレ流した。新聞や週刊誌やテレビ等で、毎日毎日のべつまくなく、隙間なく流し続けた。そのさまは尋常ではない。


 


 大マスコミは一人の政治家を法的な根拠もなく、一片の証拠を指示して解説することもなく、ただただ「政治とカネ」疑惑のある人物だと叫び続けた。ついにはテレビバラエティ番組の司会者が「秘書が三人も逮捕されているのに小沢氏が不起訴なのはおかしい」と叫ぶまでになった。司法手続き抜きの断罪をリンチと呼ぶが、そうした問題意識すらない、人権無視の人身攻撃を平然と行うのを国民は視聴してきたのだ。大マスコミの小沢氏攻撃、それも政治的な攻撃ではなく、捏造されたスキャンダルを攻撃するという作為に満ちたことをこの国の大マスコミはやったのだ。


 


 まともなジャーナリストならそうしたことに危機感を覚え、まともな報道をすべきと警鐘を鳴らすべきだ。戦前・戦中の国策報道を現在の大マスコミは踏襲しているのではないか、という危機感を覚えるべきだ。国民を扇動するには劣情に訴えるのが一番だ。誰もが欲しがる一番のものは「カネ」だから、カネに汚い人物だと知れ渡れば信用は大きく失墜する。政治家にとって信用を失うことは致命的だ。


 


 某評論家が指摘するようにネット世論はオタク世論でしかないのか。いやそうではないだろう。オタクと片付けることによってネットそのものの意見をネット世界に封じ込めようとする思考こそが問題なのではないだろうか。


 


 某評論家氏が大マスコミの社員なのか、それともフリーランスで記事を大マスコミに買い上げてもらって生活しているのか知らないが、少なくとも評論家として存在しているからには大マスコミのご機嫌を損ねることは得策ではないだろう。そうすると大マスコミの思想信条の範疇で評論するしかないことになる。暮らしの根が大マスコミと繋がっている限り彼の評論は大マスコミの応援団の意見でしかない。


 


 ネット世論はオタクではなく、大マスコミの呪縛から解き放たれた自由人の自由な意見だ。このブログをいくら書いても一銭の得になるわけでもないが、書かなければならないとの使命感から書き続けている。それはこの国に一片でもまともな論評が存在しなければならないと思うからだ。すべてが大マスコミの牛耳る論評で統一されたなら、この国は大マスコミの誘導によりどうにでもなる国だということになる。それは危険この上ないことだ。


 


 ネット世論をバカにすることは許されない。確かに影響力は限定的でこのブログでも獲得している読者は千人に満たない。大マスコミのテレビが数千万人の視聴者に刷り込む影響力と比べれば「大海の一滴」とでもいうべきだろう。


 しかし、それでもネット世論は存在し続ける。大マスコミの軛に締め付けられないで、自由な発言の場として。それが影響力を拡大しないはずがない。いまはまだ「大海の一滴」だが、数年とたたずして大きなうねりとなり大マスコミの虚構の世界を突き崩す日が必ず来る。その時の、それからの時代の、批判に耐えられる論評を残していなければ、その評論家は単に生きるための幇間に過ぎなかったと哀れな正体を晒すことになるだろう。



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