人は立場で変わるものだが…

 新人がいきなり調停をしようとしたり、親分肌を発揮するのは何かと軋轢を起こすが、古参になっても新人のままのようでは役に立たないだろう。そうした意味では人は立場によって変わるものだし、変わらなければならない。しかし、副総理の時と総理の座を射止めて変わるというのは変節というしかないし、一晩にして変わるのは裏切りといわれても仕方ないだろう。


 


 人にはタイプとして人を踏み台にしてのし上がろうとする人がいる。そのタイプの人はコロコロと態度を変えるのが特徴だ。使い物になると思えばへつらい、使い物にならないと判断すれば切って捨てる。小沢氏排除はすでに総理の座を射止めた菅氏にとって「必要ない」と判断したからだろう。


 


 そうした生き方は出世街道で最も効率が良いように見えるが、問題なのは最高位を射止めると次に踏み台とすべき相手が見当たらなくなることだ。絶えず「自身の出世の役に立つかどうか」が相手と交わる判断基準だったから、それ以上の出世の先がなくなると生き方そのものが分からなくなる。ついには最高の座を一日でも長く続けて満足感を持続させたいと願うだけになる。


 


 元々が出世することが目的だったから、総理の座に就いても何がしたいということもない。だから内政は官僚に丸投げし、外交はこの際鳩山氏には国内にいてもらわない方が良いから特使として露国へ遣わす。本人は「これ」という判断を何もしないで他の人にやらせて、そして失敗した場合には責任を取らせるつもりだろう。


 


 政界を引退して趣味三昧の暮らしを送っていた細川元総理が小沢氏のために一肌脱ぐという。今は何の利害損得関係もない元総理をそうした気にさせる魅力が小沢氏にはある。


 それに対して菅氏の周囲には小沢氏から離れて行った元仲間の老害がたむろしている。彼らがどんな理由から小沢氏の元を離れて行ったか、仔細に理由を検証してみると良い。それほど高尚な政治的な理由からではないはずだ。


 


 人は立場によって変わる。これは真理だが、その幅が常軌を逸したものであるか、人格的な成長であるか。その変わり方によって人は判断される。菅氏の変わり方は決して大物の変わり方ではない。そうしたことを続けていると、功利的な人たちまでも去って行って、結局一人ぼっちになって寂しい晩年を過ごすことになる。菅氏の絶頂期は今この瞬間だと心得るべきだ。



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