小沢氏の最終章が始まった。

 時代が彼の師だった田中角栄氏のような存在を許さなくなっている。巨額な政治資金を毎年各種業界から掻き集め、派閥を養うために乾分にばら撒き数を集めて力とする政治手法だ。今後は企業・政治団体からの献金も全面禁止となる方向だ。そうすると政治家は政党に交付される政党助成金と、あとは政治家個人への個人献金しかない。


 


 すでに特定の政治家が金の力で政治家を集めて政治をコントロールすることは出来ない。それは小沢氏も同じことだ。党の要職を取り上げられてしまえば小沢氏にも他の政治家を支配する原動力はなくなる。それを菅氏などの一派は狙った。小沢氏を干しあげて普通の政治家の一人にしてしまおうというものだ。当然、小沢氏に容認できることではない。


 


 しかし、民主的というのなら政治家が当選回数や年齢に関わりなく同等の権利と権限を有するのだから、すべての国会議員が同等だといえばその通りだ。その理屈からいけば小沢氏一人が権力を党内でふるうことは勿論、カリスマ的な権力を保持する存在であることは許されないことになる。それで政党政治が機能し、国政が民主的に運営できるのならこれに越したことはないだろう。


 


 そうなると政治家はそれぞれの政党へ純粋に政策で離合集散することになるが、現実政治はそれほど単純ではない。様々な政治課題が存在し一つ一つの政治課題に対して合致する組み合わせを作っていけば政党の数はたちまち膨れ上がってしまう。それでは政党政治の体を為さないことになる。


 


 同床異夢という四字熟語がある。同じ政党に身を置いていても目指す政治信条は大きな柱さえ合致していれば、枝葉末節は異なっても構わないとする緩やかな運営をしなければ政党はもたない。自民党も民主党も党内に幅広い意見の異なる議員を抱えている。それが政権政党となりうるか、一つの強固な旗の下に行動する小政党で終わるかの相違だろう。政治家仲間の基準を政策に純化すれば、政権担当政党にはなりえないということだ。


 


 小沢氏はまさに政策純化路線で次々と仲間を減らしてきた経験がある。そこで政権担当政党と小沢個人商店のような政党との差を身に染みて知っている。年齢も70を目の前にして、政治家としてそれほど残された時間が多くないのも承知している。今回の民主党代表選立候補は小沢氏の最後の挑戦だろう。これに敗れれば彼は潔く政界から身を退くのではないかと思われる。それだけに全力で選挙を戦うと思わざるを得ない。


 


 対する菅氏の陣営はどうだろうか。菅氏は勿論本気で勝つつもりだろう。しかし仲間の野田氏たちや前原氏たちはどうだろうか。菅氏を支える代表選を梃に、自分たちの影響力を拡大しようと腐心するに違いない。彼らには首相を狙う野望がある。しかし彼らの力量がまだ備わっていないことも、この一年の政権与党暮らしで分かったはずだ。いうまでもなく、菅氏にも首相として官僚を使いこなすだけの力量も経験も備わっていない。それも身近にいて分かっているはずだ。みっともないほど未熟な為替政策や景気対策で、結局官僚に頼り丸投げするしかない実態を日々彼らの目で見ている。


 


 パフォーマンスと与党攻撃だけで力を養ってきた政治家の欠点を補うには今しばらくの経験と先生が必要だ。その先生が小沢氏だと若い政治家は気づかなければならない。既に時代は移り変わって、小沢氏が田中角栄氏になることは不可能だ。「政治とカネ」などという批判は現在の政治状況ではすでに死語になっている。そのことに気付かない大マスコミの記者の方が政治家よりも時代から遅れている。


 


 小沢氏が代表になっても、民主党は分裂しない。そして小沢氏が菅氏を支援した政治家たちを徹底的に干しあげるほど愚かではない。小泉氏が首相任期をまっとうするとさっさと政界から去ったように、小沢氏も恐らくそうするだろう。だから政治家として持ち時間のある菅氏以外の政治家は小沢氏を首相にして、彼の政治手法を見守り盗むことだ。それが最終章で小沢氏がやりたい本質かも知れない。



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