党要領に則った代表選を。

 党の代表を選ぶ手続きが民主的に行われるか否かが何よりも大事で、特定の人物が出るか否かを巡って問題視する方が尋常ではない。ここ数日、大マスコミは小沢氏自身が代表選に名乗りを上げるのかどうかを巡って喧しいが、それは本来報道すべき本質ではない。


 現在、代表選に出る可能性のある候補予定者が菅氏と小沢氏だとして、国民に報ずべき事柄は菅氏と小沢氏との政策の対立軸であり、基本的な政策を国民に知らせる方が重要ではないだろうか。


 


 民主党が党内民主主義を機能させて、党規約に定められた通り民主的に立候補者が出そろい、代表選挙を国民にも見える形で実施するのが望ましい。


 日本にはこうした国民に見える形で、党員という限定された範囲であっても、国民も参加できる党代表選挙を実施している政党が幾つあるだろうか。それこそ特定の人が声を発して公党の代表がその声のままに決まっているのではないかと疑われている前近代的な政党すらある。むしろ大マスコミが問題とすべきはそうした政党のあり方の方ではないだろうか。


 


 政党の代表がそのまま首相に首班指名される政権与党の場合は熾烈な権力闘争になるのは当たり前のことだ。そして亀裂が生じたり怨念が残ったりするのは人の常で仕方ないが、それが原因で党を割ることはないだろう。それこそ民主的な手続きを踏んだ上での結果であれば負けた方もその結果を受け入れるのを求められるのが民主的な要件だ。


 かつて自民党でも総裁選挙を巡って熾烈な権力闘争を派閥単位で何度も戦った。しかし、その結果として負けた派閥が党を割ったことはない。政権党にいる旨味は野に下るエネルギーを上回るようだ。しかも戦国時代の権力闘争なら敗北は死を意味したが、民主主義の下では権力の座に就けなかったというだけのことだ。


 


 民主党の代表選挙告示日が過ぎれば候補者が出揃って、国民の目の前で政策論議を戦わすことになるのだろう。そのことの方が「誰」がよりも数倍も重要なことではないだろうか。


 だが、小沢氏が動くことによってこれほど騒がれるとは、図らずも小沢氏が只者でないと大マスコミも暴露したことになる。それほど影響力のある人物なら政治の表舞台に立つ方が順当ではないだろうか。今回は民主党の代表を選ぶ選挙であって、すべての国民が参加できるものではない。多くの国民は傍観者でしかないが、この国の首相を選ぶ選挙であるため無関心でいることはできない。ただ本質がどこにあるのか、風聞に過ぎない「政治とカネ」問題などに拘ってはならないし、その人の広く流布されたイメージで人物評価をしてはならにない、というのは大人としての常識だが。


 


 民主党が掲げたマニフェストをどうするのか。「菅政権は着々とマニフェストを実施している」と前原氏は言っているが、「コンクリートから人」へのスローガンを早々と封印したような人の発言に真実味がないのは勿論のこと、八ッ場ダム関係者とも滅多に会って話し合わない姿勢も問題だろう。「政治とカネ」で起訴される可能性のある人が代表選に出るのはいかがか、と発言した岡田氏は彼が外務大臣に就任してから国益がどれほど損なわれたか、真剣に反省すべきだ。世界各国への韓国の働き掛けで日本海の表記が国際的に「東海」に変更されようとしているが、有効な手を打っているのだろうか。そして「起訴される可能性のある人」は出てはならない、という判断も政治家としてはいかがだろうか。三権分立が謳われている憲法で立法は司法の風下にある、という解釈を岡田氏はしているということなのだろうか。


 


 様々な思惑で不確かなことを発言する人が出るのは仕方ないが、思惑だけでなくしっかりとした政治を政治家は語るべきだ。国民は方針がなかなか見えない菅政権の政治に不安を感じている。この国をどうするつもりか、政策論議が盛り上がるのを期待する。



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