思想信条の自由と学校教育とは別物だ。

 この国に暮らす人たちが公序良俗に反しない限り団体・結社を結成して自由な意思の下に思想・信条を普及することは誰からも妨げられない。憲法に定められる思想・信条の自由の適用はこの国に暮らす国民か外国人かを問わない。しかし、そのことと国の定める学校教育とは別物だ。


 


 学校教育とは文科省の定めるカリキュラムに従って認定した教科書を用いて、国の定める教員資格を持った人の行う教育行為であって、独自のカリキュラムに沿って独自の教科書を使って国の定める教員資格を持たない者の行う教育はいかにそれらしき施設の中で行われようと国の定める教育ではない。


 


 したがって、高校無料化が朝鮮学校に適用されないのは仕方ないことだ。教育は国家の根幹であって、その基準を揺るがしにしてはならない。それを実にいい加減な「視察」で文科省が朝鮮学校をこの国の定める「高校」と認定するとすれば怠慢以上に国家と国民に対する背信行為だ。


 


 教育は特定の思想・信条の普及に利用すべきでなく、広く知識を獲得し物事を公平に判断し、そして自分自身で思惟する人格形成に資するものだ。それを担保するために国は教科書を認定し教員を養成し資格を付与している。国民の子弟のほとんどが高校へ進学する事態に鑑み、高校教育を無料化して高等教育を国民の子弟に普及し国家の発展をはかるためのものであれば、高校の認定は基準を厳格に適用すべきだ。


 


 おざなりの視察で認定作業の一環にしようとしてはならないし、特例を設けることは高校教育がいい加減なものになってしわないかと危惧する。文科省は北朝鮮や在日の人たちに配慮するよりも国家のありかたに配慮し、国民の監視の目があることを肝に銘ずべきだろう。



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