敗因の分析は前進のために必要だが。
首相と民主党幹部は敗因の分析に外部有識者を官邸に招いて意見を承ったようだ。反省と敗因分析は大切なことだ。これからどのように何を立て直すべきか、敗因が分からなければ的確な対応ができないことになる。
しかし、三年後と予想される選挙に今の幹部が何人政権内部に残っているだろうか。菅首相からして新聞紙面上では不支持が支持を上回った。これから再上昇を目指すのはかなり困難なことだと思われる。
それにしても、選挙が終わって有識者から教えを仰がなければ敗因が得心できないのも困ったものだ。選挙を戦っている段階から大よその勝敗予測が分かっていたはずではなかったか。
むしろこの時期にすべきは財政の両極端、積極財政派の学者と緊縮財政派の学者の両方を別々に官邸に招聘して教示を承るのが必要なのではないだろうか。そして、各方面の現場で実践活動をしている人たちから意見聴取するのも予算の個所付けまでを想定して必要なことではないだろうか。そして何よりも、そうした動きが翌朝の新聞に報じられないことが肝要で、後に「そうだったのか」と漏れ伝わることが大事なのだ。
だが敗戦ショックが未だに尾を引いているのかと、かえって驚かされた。それなら選挙で勝ち続けてきた小沢氏から秘かに指南を受けていれば良かった。幹事長にパフォーマンスだけの人を就けるよりも、小沢氏とも連絡が取れて党内全般に目配りのできる人を配置すべきだった。選挙は持てる力の総力で戦うべきにも拘らず、非小沢勢力だけで戦ったのだからあの程度の結果でも仕方なかったと納得しなければならない。しかし、納得することと敗戦の責任とは別物だ。
かつて小泉郵政選挙で大敗し代表の座を去った岡田氏に「全国の落選候補者の許を廻ってお詫び行脚すべきだ」とメールを送ったことがある。それを参考にされたのか判然としないが、少なくとも岡田氏は時間の許す限り全国の落選候補者の許を訪れて詫びて廻られたようだ。それも誠意の示し方の一つだろうし、こうして書かれることにより人々に知られ岡田氏の一面として語られることになる。
為にするパフォーマンスは効果的かもしれないが、安物の膏薬と同じですぐに効果はなくなる。それよりも人の中に刷り込まれた「人格」的な印象の方が遥かに強く長く残る。若い枝野氏は率先して責任を取って辞任すべきだった。これからの政治家人生を考えると、いつかは首相の座を狙う人物だろうし、それなら重厚な人格形成のためにも無役となって全国の落選候補者の許を訪れて詫びることだ。候補者の参謀や熱烈な支持者から苦言を呈されて反省することだ。この方が有識者を官邸に招くより遥かに実感を伴って敗因分析の糧になるだろう。