電気自動車は未来の乗物か。

 ホンダの家庭電気で充電できる電気自動車を開発すると宣言した。米国ではテスラーというベンチャーが時速200㎞で一回の充電による走行距離は320㎞に及ぶという車を開発したとテレビで報じていた。それで近未来はガソリン車が電気自動車に取って代われるというのだ。


 


 テレビのコメンテーターたちは電気はクリーンだとかCO2を排出しないだとか、お定まりのコメントを並べ立てていた。しかし、本当に電気自動車は近未来の車になるのだろうか。


 まず疑わしいのが電気はクリーンな産物かどうかということか、ということだ。日本の場合、自然エネルギーによる発電は全体の1%にも満たない。大部分は火力と原子力で賄われている。それで現在の発電余力は最大需要時には適正余力とされる10%を下回って、大都会を抱える電力会社では数%と危機的な状況を何度か乗り越えてきた。さて、今年はどうだろうか。電力会社にとって厄介なクーラーの効いた部屋で高校野球をテレビで視聴する時期がやってきた。


 


 いうまでもなく火力発電は化石燃料を燃焼して作っている。原子力は核融合反応による熱を取り出して発電している。火力発電がCO2を排出するのはいうまでもないが、原子力発電もウラン濃縮過程で莫大なエネルギーを必要とするし、使用後の放射性廃棄物の廃棄管理が厄介だ。そしてそもそも自動車で消費しているエネルギーをすべて家庭電源で賄っていけるのか、という疑問が湧く。夜間電力を使えばいいではないかといっても、自動車を使わないときに充電するしかないのだから、夜間だけ充電すれば良いということにもならない。


 


 次に電池の問題がある。テスラーの電気自動車は日本のPCに使われているリチウムイオン電池を使っているという。PCの電源程度でも5Vのリチウムイオン電池を4ないし8ユニットを利用している。電気自動車では気が遠くなるほどのユニット数を束ねて電源としているのだ。


 PC利用者なら誰もが電池の劣化に悩まされた経験を持っているだろう。リチウムイオンは比較的劣化しにくいといわれているし、教育効果(電気を消費しきらないで充電した場合、その充電をし始めた時点での電位をゼロだったと学習して放出電気量が少なくなること)も比較的少ないといわれている。しかし、それでも充電と放電の繰り返しによる劣化は避けがたく、電池の積み替えが必要になってくる。リチウムそのものは希少金属でリサイクル可能だが、その際化石燃料を消費するのは他のリサイクルと同じことだ。


 


 つまり電力会社と自動車を作っていない町工場には近未来の乗物が電気自動車になるとする予測は朗報かも知れないが、それが環境に寄与するだとか、CO2排出を削減できるとか考えないことだ。大量生産による規模の経済効果で電気自動車の価格が下がることも期待しないことだ。なぜなら現在の電気自動車の価格の半分はリチウムイオン電池の価格だからだ。希少金属のリチウムは消費拡大による高騰はありえても大量生産による原価下落はありえない。


 


 マスコミが一斉に同じ方向で報じるときには意図が隠されていると考えることだ。断定できるのはハイブリッドはありえても、電気自動車が爆発的に普及することはありえない。ガソリン車がすべて電気自動車になったら、新たに何基の火力発電所が必要となり、何㎞に及ぶ高圧送電線へのやり替えをしなければならないか、変電所の電気容量をどれほど高め改造しなければならないか、一度真面目に計算してみると良い。決してバラ色の電気自動車時代の到来とはならないはずだ。



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