明確な根拠を示すべきだ。

 検察内部の犯罪に対して、検察の判断が甘くなるのを監視するために設けられて検察審査会で小沢氏に厳しい判断が相次いでいるが、本当に市民が選ばれて審査にあたっているのなら裁判員制度と同じような運営をすべきだろう。一人一人の名と身分を明かし、判断後の会見は被疑者の人権とのバランスからいって当然のことだ。


 


 現在は検察審査会委員の名も明かされず、判断後の記者会見もない。誰とも分からない市民が密室でのやりとりをして評議を決し、その後の記者会見もないのでは密室での欠席裁判に等しい。それにより強制起訴の措置にあう被疑者にとって反論もできないのは極めて不当な扱いだといわざるを得ない。


 


 この国では証拠と法律に基づいて人は起訴され、公平・公正な公開裁判を経て判決を受ける。それが法と証拠に基づいて判断されたのか分からない検察審査会の判断で起訴相当ならば法廷に引っ張り出されるのだ。法治国家にあるまじきリンチにも等しい人権蹂躙の仕組みと言わざるを得ない。


 


  一旦は検察が不起訴と判断したものを検察審査会がどのような法と証拠に基づいて判断したのか知らないが「起訴相当」としたのを受けて検察が再び洗いなおした。そして小沢氏に対して再び検察が「不起訴」としたものを再び検察審査会が審査する妥当性があるのか疑わしい。検察審査会が市民感覚と称する判断基準があるとするなら、それこそ個人的な意趣返しの場となるか無法リンチの場と化す可能性がないともいえない。


 


 一年半以上にも亙り、針小棒大に「政治とカネ」と一括りにして大マスコミが上へ下への大騒ぎを演じ、国会議員までもが不見識に「政治とカネ」なぞと意味のないマスコミ造語のスローガンを口にする。彼らは検察判断で不起訴となった小沢氏に一言たりとも謝罪しただろうか。そうしたケジメをつけないで市民と称する検察審査会なるものの判断を仰いだ。メンバーを公開しない市民なるものを信用する愚かなことをこの国の市民は行うのだろうか。


 


 何の根拠がなくても検察が強制捜査に踏み切りマスコミが叩きに叩いたら大抵の政治家は政治生命を失うだろう。そのようにして田中角栄氏は政治の表舞台から消えていった。いまはまだ彼に対してこの国の法学者は誰一人として司法と検察が行った事実関係を冷静に検証していないし、マスコミも頬被りしたまま歴史の彼方に消え去るのを待っているのかもしれないが、決して疎かにすべきことではない。この国の法になかった嘱託尋問で、しかも司法取引による田中氏に圧倒的に不利な証言を証拠採用した戦後の司法史に残る大きな汚点として決して忘れてはならない。


 


 人を裁くのに好悪の念で行ってはならないのは子供に「赤は止まれ」と教えるのと同じことだ。それを大の大人がやって恥じることがない。しかも司法と検察の立場から法の番人であるべき人たちが、だ。同じことを小沢氏に対しても繰り返そうとしている。法により立件できない検察が裁判所と組んで検察審査会なる機関を使って小沢氏を起訴に持ち込んで政治家生命を不当に奪おうとしているとしか思えない。警察での被疑者取り調べですら『可視化せよ』という機運にあるのに検察審査会メンバーは名前すら明かされない。どのような話し合いがどのような証拠に基づいてなされたのか、審査会委員以外の市民が検証できなくて民主的組織とは言い難い。


 


 そのような法の専門家でもない「市民」に人を裁くに等しい「起訴相当」との議決を出す権限を与え、二度続けて「起訴相当」と評議が8/11以上で決すれば強制起訴となるという。しかも評決に到る議論の過程は公表されない。法と証拠に基づくことにより法治国家たる担保を得ている司法制度において、これほど法と証拠を無視した愚かしい制度はないだろう。国会においてしかるべき改訂を行うように願うものである。



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