迷走ではなく、創造の過程であれ。

 内閣としての政策意思決定で自民党的な手法と決別して政治家主導の政治を実施する、と政治家としては至極当たり前の発想を以て臨むのに試行錯誤や混乱はつきものだろう。それでも「国民のため」の政治を実現するために政治家が知恵を絞るのは裏舞台でやってもらって、国民の前に議員同士の縄張り争いのような醜態は余り晒さない方が良い。そうした組織作りの段階から国民の目に見える形でやる「開かれた」政党だというのはいただけない。


 


 政治家は選挙で当選するために自己を選挙民に十分にアピールし政策を訴えて支持を得た人たちだ。その選挙民との「約束」を実現する手段として政権があり、政策実現に党内で存在を示す必要があるのも頷ける。しかし、それをすべての国会議員が予算策定段階で嘴を挟み勝手に発言しだすと収拾がつかなくなるだろう。何処かで取り纏める部署が必要となり、誰かが政党に対してガバナンスを働かさなければ烏合の衆の集まりということになる。そして党内で議論するのならまだしも、幹部を党外で批判するパカな議員が跋扈し、それをマスコミが面白がって囃し立てる、という愚かな構図が出来上がってしまう。


 


 どこぞの機関で政策を学んだことと、実際に人を掌握して政治を行うこととは別物だ。そこには徒弟制度に似た「汗をかく」期間が必要となり、そうした党と所属議員の為に奔走する姿を見て、所属議員は彼に代表を任せよう、と思うようになる。そうした極めて人間的な手続きを踏むことなく、口先だけの人気を得て同調者を集めて勢力とするのはサークル活動の勧誘みたいなものに過ぎない。政治とはサークル活動ではなく国家と国民の存在と暮らしに深くかかわる現実社会の在り方を示すものだ。それを単純化して税の徴収と使い方が政治だ、という人もいるが。


 


 各省庁の予算を一律して削減するシーリング方式は財務省の方針であって、各省庁の叡智でも政策でもない。むしろ政治家が省庁を掌握すれば予算削減を省庁の大臣から言い出す事態があってしかるべきだろう。それが一例もないようなら、自民党政権時代の予算ブラックボックス状態と同じことだ。


 政治家が国民のために予算を組むのが民主主義本来の在り方だ。その政治家が作った予算を実施する行政が官僚組織だったはずだ。政策も予算も官僚が作って、政府は「頷くだけ」の同意機関に成り下がっていては官僚がいいようにしてしまうのは当然の成り行きだ。民主党の政府と党組織の騒動はすべてそこから発している。そうした観点から始まって「総員参加」の要求が、今では自分たちの存在実現へとレベルダウンしているようだ。


 


 政治家とは元々が自己顕示欲の強い人たちだ。それが小沢氏を排除して頭を押さえつけていた重い石が取れたように言いたい放題言い合っていては、ついに統制制御はなくなってしまうだろう。あたかも猿山のサル騒動だ。しかし、だから自民党時代が良いと思ってはいけない。彼らは何もしていなかった、ただ官僚の作った政策を追認もしくは適当に手直ししていただけなのだ。だからブレることもなく、営々と国債残高を積み上げてきたのだ。だから官僚の高額な給与と共済年金と各種待遇に手を付けることなく増税論議に踏み込もうとしているのだ。


 


 まともな政府なら首相が口先であろうと「消費税10%」を言い出す前に、行政組織の冗費や官僚の削減と給与の民間並みと派遣社員の割合も民間並みにすべきだ。派遣で出入りする職員が増えれば、官庁の風通しが良くなり隠れてコソコソとお手盛りしていた各種手当てもバレてしまうだろう。


 そのためには官僚の人事権を政治が掌握し実施しなければならない。民主党がコップの中の争いに時間を浪費する暇はない。手を付けるべき政策に手を付けて政策実現の果実を少しなりとも国民に手渡すことだ。「増税」という勘定書きを回すのはまだ早すぎる。



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