宗教と政治は相容れるのか。
各団体が何でもあれ、の感覚で選挙に関わっているようだ。特に現世利益と最も遠い存在のはずの宗教団体までも政治に関与するとは、宗教そのものの在り方を問われかねない現象だ。
宗教信者にももちろん思想信条の自由はあり、個々人には立候補する権利も選挙で投票する権利もある。それは充分に承知した上で、それでも宗教は政治に関与すべきではないと思う。なぜならあらゆる宗教には基本的に「思考停止」が教義に組込まれているからだ。自分の考えで宗教を判断して、科学的に分析思考しては成り立たないものだ。たとえばキリスト教では「三位一体」や「復活」などが教義の基本をなしているが、そんなことはありえないと教えるのが科学的思考だ。
宗教者は全面的な帰依を信者に強いる。また強いることが出来なければ宗教とはいえないかもしれない。宗教には一種自主的な陶酔と忘我の境地が必要だから、当然宗教者が信者の意思を操るのは簡単なはずだ。また操れないようでは宗教とはいえず、ヨガ教室と同等なサークル活動ということになるだろう。
つまり全面的に帰依して宗教者の前に没我の境地にある者に対して宗教者が信者に投票先を指示すれば大いなる政治への介入ということになりはしないだろうか。信者は宗教活動を通して宗教者に反抗できない精神構造になっていて、宗教者の言うがままに投票すれば、個々人の自由意思に基づく選挙活動と投票を保障している「公職選挙法」に抵触しないだろうか。ちなみに教職者の立場を利した選挙活動は制限されている。
世界には宗教による戦争があるほどだ。中世の十字軍の大遠征もさることながら、現在の中東戦争もそうした色合いを濃く反映してはいないだろうか。各宗派ともすべてが人類の平和と争いのない世界実現を教義の中で謳っているにもかかわらず、宗教による戦争が起こっているのは世界の一大不思議だ。だがそれが現実なら、宗教とはそこまで個々人の自由意思を縛り、個々人の幸福希求を超越するものだということだろう。
宗教とは恐ろしいものだ。自由主義の基本に反する側面を大きく持つ。信心とは思考停止と同義語ですらある。とくに日本の新興宗教を観察するとそうした感を深くする。そのような教団が政治に関与するのは憲法に謳っている自由主義と相いれないのではないかと思うのだが。