地方で起こっていること。

 特別な一つの例に過ぎないかも知れないが、地方で起こっていることを何件か取り上げよう。まずここ数年何校かの高校が統廃校されている。農業高校と工業高校が統合されて農工高校と妙なものとなったり、商業高校と工業高校が統合されて商工高校となったりしている。さらには過疎地の普通高校が廃校の憂き目にあうのではないかとして、早くも反対運動が起こっている。


 


 高校だけではない。地域を跨いだ小学校の統合や廃校が県内各地で毎年のように行われている。かつて小学校区は一つの生活圏として自己完結型の地域社会を形成していたが、地方では田舎ほど過疎化が進み、ついには地域社会が崩壊している地域が目につく。限界集落という定義もあるが、そんな生易しい状況ではない。いつまでたっても団塊世代が地域の若手といわれているのも珍しいことではない。


 


 当初には減反政策は耕作しなくてもお金がもらえると歓迎する風潮があったのも確かだが、今では地域社会を破壊した根本原因だと農家の人たちは思っている。先祖が営々と山を切り開き石くれを積み上げて開墾した棚田は逸早く山に還り、大木が生い茂ってしまった。そこからサルやイノシシが山麓の集落に下りてきて、わずかに耕作している家の周りの畑を食い荒らしている。


 


 地方都市といわれる町でも地価下落は止まらず、住む人がいなくなった家が街中でも見られるようになった。駅前の商店街から人影が消えて久しく、開かずのシャッターすら錆びて崩れ落ちそうだ。その影響か二つの市営病院を存続させるべきか統廃合して一つだけに集中すべきか、喧々囂々たる議論のさなかの市もある。


 


 地方でも町村部といわれている中山間地域の衰退を決定づけたのは全国で吹き荒れた平成の大合併だ。地方の人口1万人から2万人ほどの町の最大事業所は町役場だった。正職員が140人から200人程度いて年間一般会計だけでも50億円から80億円程度の事業規模があった。それが合併によって市となり町役場が「総合支所」となって職員数は20人から40人程度に激減した。しかも予算は中心市に集められ、地方の文房具店などの町役場の出入り業者だった店は経営が成り立たなくなった。町の銀行も「支店」から「出張所」へ格下げされてしまった。


 


 出生率1.34は全国的にみても人口減が明らかで深刻な問題だが、地方の人口ピラミッドを検証すればわずか10年後でも悲劇的だ。農業従事者の平均年齢が今でも70歳に近いのに、10年後の地方の農業はどうなるのだろうか。若者は高校卒業後大都会を目指し、特に都会の大学へ進学した若者たちはほとんど卒業後には地方の地元へ帰って来ない。若者がいなくなれば子供もいなくなり、街から活気がなくなるのも至極当然のことだ。


 


 地方を復活させようとする試みも確かに行われている。空き店舗に行政が補助金を出してNPOが食堂を経営したり、喫茶店を経営したりしている。すると近所に暮らす行き場のない年寄りが集まって社交場になったりするが、それによって街が復活する類の活力源にはならないようだ。花火大会や祭りも行政の肝煎りで華々しく行われているが、所詮は行政頼みだ。


 


 活性化というからには基本的にその事業から得られる収益で家庭が成り立ち、若者が生き甲斐を感じて持続的に従事するものでなければならない。補助金による打ち上げ花火では大輪の花が消えた後の闇が一段と深くなるだけだ。


 団塊世代が未だに地域の若手といわれているようでは先が知れている。何とかして地域社会が再生可能な状況を維持できるだけの若者が定住できる方策を考えなければならないだろう。


 



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