若者の「ひきこもり」が全国で70万人
今朝の読売新聞で若者の「ひきこもり」の人数が報じられている。予備軍とはいわず将来ひきこもりになる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人ていどいるといわれ、今後年数がたつほどに大きな社会問題化すると危惧されている。
ひきこもったまま歳月がたち、親が齢を取るとともに子も子供とはいえない年齢に達し、社会適応できないままに壮年となる。現在は30台が24%と一番多く次に20台がほぼ同じパーセントとなっている。ひきこもりとなった原因の一番は30%を占める職場の不適応で、次いで病気によるものとなっていて、不登校は11%と意外と思われるほど少ない。
しかし70万人もの「ひきこもり」がいる現実は無視できない。やがて大きな社会問題となるのは必至で時間の問題だ。親の年金を頼りに暮らしているうちに生活の糧を持たないまま親が亡くなるとたちまち暮らしに行き詰まる。そうした事態が顕在化してからでは遅い、国としても何らかの手立てを考えなければならないだろう。
「お節介」は時として人権無視ともプライベートの侵害とも批判されかねないが、町々からお節介焼きといわれる人がいなくなって久しい。個々人が重んじられ個々の家庭に立ち入らないのが望ましいとされてきたが、そうした考えを改めなければならないのかもしれない。一つの事例がこの「ひきこもり」であり、あと一つが深刻化している「家庭内の虐待」だ。老老介護の果ての痛ましい配偶者による殺人事件も頻発している。
福祉に関しては「お節介」の仕組み作りがなされているが、それがうまく機能しているかが問題だ。従来からの民生委員に数年前に設置された福祉委員と、地域にライフ・ネットを張り巡らしている。それなりに地域を巡回し老人世帯に声を掛けたりして孤立化させないように気配りしている。郵便事業も配達の折に「声掛け」をするようにしたようだ。しかし「ひきこもり」に関して具体的な対策がなされたとは寡聞にして知らない。
すべての国民が社会に自己実現して幸福を希求する権利を持つが、それを放棄した若者をどうするのか、社会学者も心理学者も総力を併せて解決策を提示すべきだろう。150万人ものひきこもりを個人的な問題として放置したなら、やがてそれらは社会的なコストとして行政が福祉費目で対処するしかならなくなり、代償を国民が支払うことになる。つまり、ついには個人の問題ではなくなることになる。それなら行政コストをかけてでも「ひきこもり」対策を立てることが本人のためにも、その家族のためにも、ひいては国のためにもなることを考慮しなければならないだろう。