話し合うのが政治家の基本ではないか。
小沢隠しとか小沢外しとか、政治を劇画調に面白くするフレーズとしてマスコミが勝手に冠した言葉に政治家が操られてはならない。しかし菅氏とその取り巻きは小沢氏と話し合うこともなく、党内で議論することすらもなく増税論議の解禁を突如として表明した。だが、マスコミは「増税」部分だけを拡大して報じ、菅政権の真意を捻じ曲げて伝えた。
党代表の菅氏が小沢氏と話し合うのは至極当然のことだ。本来なら参議院選挙に敗れてからでなく、首相に就いた当初にマスコミ報道に乗せられることなく、小沢氏と会うことによって多少の批判を浴びようと、会談して協力を仰ぐべきだった。すべては済んだことで詮無いことだが。
反小沢派と称される面々がいかに狭量で独善的か、野党幹部として足の引っ張り合いと与党の揚げ足を取るのには長けていたかもしれないが、政権中枢に君臨して国家経営をするには小粒に過ぎた。これからも政権を担ったことのない面々が掲げた理想と官僚の説く現実との狭間で政策が揺れるのだろうか。せめては総裁だけでもブレずに背骨をしっかりと政権に通す存在感を示さなければならない。
さて、菅氏は小沢氏と会って何を話すのだろうか。しばらくは静かにしていろ、と先輩政治家に対して発言した非礼を詫びて、それから何を切り出すのか。代表選以降も政権維持に協力を仰ぐのか、それとも9月の代表選挙まで静かにしておいてもらえば、そこで潔く選挙大敗の責任を取って代表を降りて選挙に立たないというのか。
来年度予算編成へ向かって、参議院の多数工作をしなくては予算本案だけが通っても、附則の法律案が否決されては実質的に予算は成立しないのと同じことだ。国家と国民の為に国会を動かす数を揃える寝技を使う人物が小沢氏の他にいるだろうか。
その為にはどの程度の権限を与えるのか。中途半端なことで小沢氏が菅氏の要請を受けるとは思えない。菅氏が調子の良い中途半端な人物だということは今度の選挙を通じて露呈した。おそらく小沢氏が受けるほどの話も条件も示せないで終わるだろうし、それにより菅政権の命運も9月までと判明するだろう。