安倍氏は暗愚なだけではなく、戦後日本の立憲主義を汚した政治家だった。
< 国民を分断した「国葬」が終了。安倍氏銃撃事件以降を総括する 安倍晋三元首相の「国葬」が日本武道館で実施された。国内から約3,600人、海外からは約700人が参列した。その多くは各国大使などで、首脳レベルは、米国のカマラ・ハリス副大統領、インドのナレンドラ・モディ首相、オーストラリアのアンソニー・アルバニージー首相、韓国のハン・ドクス(韓悳洙)首相や、カンボジアのフン・セン首相、ベトナムのグエン・スアン・フック国家主席、EU=ヨーロッパ連合のシャルル・ミシェル大統領が出席した。 岸田文雄首相は、国会の閉会内審査で、「国葬」実施の理由の1つに、「諸外国で議会の追悼決議は服喪のほか日本国民への弔意が示された」を挙げた。要は、安倍元首相が世界の首脳たちと深い信頼関係を築き、世界中から慕われていたから国葬をするのだというのだ。 だが、私は「安倍元首相が世界中から慕われていた」ことを、手放しで評価していいのか、疑問に思っている。 私は、以前から安倍元首相を中心とする「保守派」の政治家の「二面性」と「内弁慶」体質を批判してきた。保守派が従軍慰安婦問題などに関して、日本国内で「声高な主張」を繰り広げる一方、彼らの主張を加害国に対してぶつける努力を怠ってきたからだ。 韓国側の主張が世界に広がる中、保守派はこれまで外国の雑誌や新聞に論文を掲載することや、外国の政治家やマスコミを説得するなど、日本の理解者を増やす努力を怠っていた。否、保守派は海外の批判から目を背けて逃げ回ってきたとさえ言えるのだ。 保守派は、国内で隣国に罵声を浴びせるかのような強気な発言を繰り返し、海外の勢力から「国益」を守るとか、「自主防衛」とか主張している。だが、彼らは一歩でも海外に出れば何も言えなくなるのだ。そればかりか、日本の国益を売り渡すようなリップサービスを繰り返してきた。長年にわたる保守派の「内弁慶」な姿勢はまさに、相手国の要求を無条件でのみ続ける「土下座外交」そのものではないだろうか。 「土下座外交」とは、古くからある「日本外交」表現する言葉だ。外交において、相手国の要求を無条件で飲み続けるなど、極端な弱腰の姿勢で臨むことを意味する。逆に、この日本の弱腰の姿勢を外交カードとして諸外国が利用してきた。 例えば、1990年9月の「金丸訪朝団」と呼ばれる自民党、社会党(当時)の政治家の北