オーストラリアの大森林火災を「温暖化」のせいにして政治の無策を指摘しないのはなぜか。
オーストラリアの大火災を「温暖化」のせいだとマスメディアが盛んに宣伝している。異常気象はすべて「温暖化」だという。温暖化が進めば気象が激化する、という理屈は納得し難いし、現在が「温暖化」しているという証拠は何もない。 気候が激化する理由を「温暖化」にすれば政治家の責任はすべて免れる便利な言葉だ。水害も森林火災も「温暖化」が原因だから、治山治水を怠った政治家の責任はない、ということにされている。オーストラリアの森林火災もコアラを保護するために油脂の多いユーカリを大量植栽したことに一因がある、との論は皆無だ。すべては「温暖化」が原因だ、と大合唱している。 なぜ「火除地」をオーストラリアは森林に設置しなかったのだろうか。広大なキャンプ場の広場を設けるなどして、火災が拡大するのを防ぐ「防火帯」を設置していれば、ダラダラと広大な森林を日が舐め尽くすことはなかっただろう。 オーストラリアが乾燥大陸であれば森林火災に備えて、防火用水の設置も当然しておくべきだった。油脂の多い燃えやすいユーカリを大量植栽したら、近接地には燃えにくい樹種を選んで植栽する必要があっただろう。 何でもかんでも「温暖化」のせいにして、政治家の怠慢を放置するのは良くない。日本列島分も燃え尽くしたのだが、今後は緑化活動が求められるが、その際には植林する樹種の選定と防火帯の設置を計画的に行うべきだ。 自然災害を「温暖化」のせいにして政治家の無能・無策を放置するのは愚かなことだ。「温暖化」は廃ガス利権による捏造だと殆どの科学者が指摘しているにも拘らず、日本のマスメディアが排ガスと温暖化のリンクに固執しているのは何故だろうか。誤ったデマを頭から信じ込む悪癖が日本国民にはあるのかも知れない。だが、誤りは誤りだ。「排ガス温暖化説」などという非科学的なことはガリレオを裁いた中世の宗教裁判と何ら変わらない。