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新聞各社が「自公過半数」と選挙結果を予想しているが。

  自公政権がこの国をどうしようとしているのか、その方向性は明らかだ。より一層の規制撤廃と称して「限定正社員」などを労働市場に投入して、無能な経営者でも簡単に工場を閉鎖したり海外移転できるようにしようというのだ。  つまり地域限定の正社員を採用して、その地域から企業が工場などを撤退させる場合は一定の要件の下で「正社員」の首を切れるようにする。そうすることで企業展開が機動的になるという。    かつて日本が高度経済成長の時代、労働者の首が切り易かったから経営が合理的に出来、企業規模が拡大出来たのだろうか。そうではないだろう。  むしろ殆どの社員が正規社員で終身雇用制度の安定的な雇用に守られ、その対価として労働者たちは企業に家族的な忠誠心で懸命に働いた。確かに企業は労働三権に守られた労働者たちを抱えて高い人件費に経営を圧迫されることもあった。しかし、それも果敢に企業展開する原動力となり全体として日本経済は高度成長を遂げた。    現在はどうだろうか。「焼畑式経営」と揶揄される安い労働力を求めて工場を移転させれば企業利益は増える、という子供じみた経営者たちのオンパレードだ。国内企業展開に必要な合理化と新規技術開発などに投資することを忘れては企業体質が低下するのは火を見るよりも明らかだ。  政府もマスメディアも海外移転するのが企業の時流だと煽り続け、日本企業の多くが海外へ生産拠点を移した。確かに企業収益は一時的に上昇したが、国内労働環境は悪化の一途をたどり、勤労者平均給与は減少の一途をたどった。そして安い労働力により企業収益を上げるという安易な経営に堕した経営者たちは新規生産技術開発や製品開発投資を怠ってしまった。    今後予想される労働環境の変化はTPP参加により米国流の「限定正社員」がISD条項発動により日本の労働環境を否応なく変えることだ。新自由主義者たちは米国流の諸制度を国内に持ち込む先兵となっている。  その流れを安倍政権は早めようとしている。参議院でも過半数を制すれば、いよいよ新自由主義者たちは国内の改変を急ぐだろう。それは米国流の格差社会と際限なき自由競争を国内に導入することに他ならない。    一部ハゲ鷹投機家たちと経営者たちが巨額な年収を手に入れるために、多くの国民を一時的雇用労働者に貶めることだ。すべては富める者の自由と富める者の自由競争のための制度改

不易と流行。

  身の回りの日々雑感を書こうと思っている。何とも大袈裟な題になってしまったが、話は単純な雑感だ。  要約すれば、未だにPCを使っているのは時代遅れか否かということだ。そうした他愛ないことだが、なかなかPCを手放せないでいる。    折畳の携帯がアッという間に駆逐され、マスホを指でなぞっている。格納庫から重装備の電子機器でも引っぱり出しているかのように、私のPCを見詰めていた友人が「タブレットの時代だろうぜ」と誇らしそうに板のような物体を鞄から取り出す。    電子機器の進歩の速さには驚くばかりだ。しかしPC(やや古いレッツノート)を廃棄してタブレットへ移行しようとする気は今のところない。  一日にこのブログの他に各種文書を作成する者にとって、タブレットは使い辛い(と思う)。それに画面を指でタッチするのは手油がつかないかと気になる。    そのPCもXPのサポートが来年四月九日で切れるという脅しに、仲間の何人かはPCを諦めてタブレットに切り替えようとしている。しかし安くもないPCを購入して丁寧に使ってきて、まだまだ使えるにも拘らずお払い箱にするのは「勿体ない」と思わずにはいられない。    不易と流行という言葉がある。文書作成などには慣れ親しんでいるキーボードから画面へ乗り換えるには抵抗がある。いまいちタッチの確実感がない(ような気がする)。キーボードで文章を打ち込む作業は「不易」ではないかと思える。それに対して画面をタッチして文章を打ち込むのは「流行」でしかないのではないかと思える。    気がつけばグーグルが検索に「音声認識」サービスを始めている。試しにマイクを差し込み、簡単な単語を呟くと文字に変換してくれる。しかし事務所でみんながこれを始めたら騒がしくていけないだろう。やはり文字入力はキーボードに限ると頷く。ただ入力がいつまでもキーボードで良いとも思わない。より便利なものが出るのを望むが、タッチ画面入力も所詮は形を変えたキーボードに過ぎない。  流行が定着して不易となる技術が果たして出るのだろうか。

民主党の凋落は「国民政党」が政権に就いた途端に政権病に侵されて「国民」を忘れたことによる。

  民主党がなぜ大敗した後も凋落の一途をたどっているのか。理由は簡単だ、政権に就くや「国民政党」であることを忘れて、自公政権の真似をして官僚政党に変貌したからだ。  その原因は官僚の広報機関に堕しているマスメディアによって散々2009マニフェストを「バラ撒きだ」と叩かれたことが一番だ。それにより二代目の菅政権で早くも「消費税10%」と青天の霹靂とでもいうべき暴言を吐いてしまった。    菅政権は民主党の基盤が国民政党であることを完全に失念して、自公の真似をして官僚政権の政策へと舵を切ってしまった。それでは初心者マークのついた官僚政治よりはガチガチの官僚政権として運営に定評のある自公へ政権を戻そうと国民が考えるのが自然ではないだろうか。  悪夢の官僚政治から目覚めない限り、民主党の復権はない。ダラダラと解党への坂道を転がり落ちるだけだ。    だから、このブログで何度も官僚政治に冒され、国民政党へ戻れなくなった民主党議員たちと袂を別って、「消費増税」に反対して民主党から出て行った国民政党の理念を堅持している真正・民主党の議員たちと手を組むべきだと進言して来たところだ。しかし民主党執行部は少なくなった民主党の党勢を更に分裂させることによって先細りになるのではないかとの妄想に取り憑かれているようだ。  腐った林檎をリンゴ箱から取り去らないとすべての林檎が腐ってしまう。こうした簡単なことも解らないで、自民党を批判していれば票が頂戴できるだろうと考えているとしたら、共産党と何等変わらない。    今からでも遅くはない。民主党は真剣な路線議論を全党員で行うべきだ。消費増税に賛成しているのは国民政党たる民主党の党員ではない。彼らは政権の魔力に魅入られ官僚政党の走狗に堕した似非・民主党員たちだ。彼らは民主党から出て、自民党の傘下へ入るべき人たちだ。  2009マニフェストで掲げた「国民の生活が第一」をもう一度掲げようではないか。社会セイフティーネットの構築こそが未来への道だ。そのために政治は存在すべきだと、もう一度肝に銘じることこそが民主党再生への近道だ。

日本に一番必要なのは社会セフティーネットの整備だ。

  昨日(7/4)告示となった参議院選挙で各党党首は街頭で有権者に訴えた。テレビで集約された党首たちのそれぞれの主張を聞いてみたが、国民がなにを求めているか、当然のことながら党首たちの主張が異なっていた。  自民党は現在のアベノミクスを誇り「景気が良くなっている」という幻想が浸透していることに気を良くして「ネジレを解消してくれたらもっとアベノミクスが進む」と訴えた。対する少数乱立の野党たちは「改革」「脱原発」「自公に反対」などとチマチマとした主張をテンデに吠えたてていた。    使い古した、実体が分からない「改革」という言葉を与野党とも使っていたように思うが、スローガンよりも中身を知りたいものだ。改革により国民生活が良くなる、というのもアベノミクスと同じ「幻想」でしかない。  派遣業法改革により労働環境は悪化し、勤労者に対する所得配分は低下し、日本国民の多くは不幸になった。旅客運送業法の改革により「貸切バス」会社が乱立しバス事故が多発している。すべからく物事には必ず裏と表がある。そのことを詳らかに説明しないでイイとこ取りだけをがなりたてて、国民を騙すのはやめて欲しいものだ。    そうした中身の解らない党首の中でも最も解らなかったのは「空を黒い雲が覆っている、緑の風で吹き飛ばします」というものだった。いかにも女性らしい情緒的な主張だが、中身はあるのかないのか何も解らない。  この国の最大の問題は少子社会だ。現在ですら満足に暮らせない多くの国民が存在するが、未来は年々ますます困難になるのは明白だ。なぜなら現行の少子社会が続く限り、日本国土という規模の社会インフラ(固定経費)を少なくなる国民が支え続けるからだ。    そうした「待った」なしの、現実に存在する国民生活の危機に対して「何んとなくマスメディアが囃したてているから、景気は回復したとの幻想が浸透しただろう。今後ともアベノミクスの幻想に酔っている間に「限定正社員法」などの新自由主義政策をドンドン進めるよ」「だから選挙で勝たせてネジレを解消させてね」という自公の主張を受け入れるというのは余りにも能天気だ。  国民が不安に感じているのは「未来が見えない」ということだ。その未来とは国民個々人のことであると同時に、この国の「国家」としての未来だ。そうした「漠然とした不安」を受け止めて、しっかりと国民に訴えた党首は小沢氏だけ

新経連とはご都合主義か。

  三木谷氏たちIT企業経営者たちがつくる経営者団体が党派に拘わらず8人の候補者を推薦しているという。推薦の人選基準は薬のネット販売など、自分たちの独自の基準で決めたようだ。それで自民党現職や民主党現職、他の政党に属する候補者たちも推薦している。  しかし日本の政治制度が議員内閣制を採用し、結成した政党に所属する議員たちによって首班指名がなされる以上、党派を超えて候補者を個人的に支援するというのはご都合主義の誹りを免れない。    ご都合主義といえば「楽天」なる企業そのものが極めて自己都合的な存在だと思わざるを得ない。IT企業と称しているが、やっている実態は従来からあったカタログショッピングのカタログがPC画面に変わったモノに過ぎない。  それなのに決済手続きとして「楽天銀行」なるものまで設立し、そこにいかなる銀行法の改定があったのか想像するしかないが、従来の銀行からすればネットバンクは御都合主義的なイイとこ取りの似非・銀行に過ぎないのではないだろうか。    それが「改革」だというのなら、従前の銀行法という厳しいおきてに従って営業してきた銀行等の金融機関は「バカバカしい」と腹の底では思っているのではないだろうか。同様に最近ではセブン銀行なる珍奇なものまで誕生したが、余り無定形に「決済銀行」なるものの存在を認めるのはいかがなものかと思わざるを得ない。  銀行の父といわれる渋沢栄一が日本に銀行を設立したのは殖産興業を興し、日本を近代国家にすべき資金を集め資本として企業に投資する仕組みをこの国に作るためだった。当然銀行には金融を通して日本経済を発展させる使命があり、地方銀行にあっては地域社会の発展育成のために企業家を育てる使命があった。    IT企業なるものの多くは新規なモノは何もなく、従前の企業モデルをそのまま電子空間に置き換えたものに過ぎない。ネットバンクも決済機能だけを突出させたものに過ぎず、それはかつてのバンカーのいる銀行とは似ても似つかないものだ。  そういう意味ではIT企業はイイとこ取りの御都合主義者が先人達が営々と築いてきた社会の仕掛けや国民の高い民度に寄りかかって企業運用しているに過ぎないとの批判を受けても仕方ないだろう。IT企業とはまさしく新自由主義の権化のような存在であると云わざるを得ず、ネット未加入者や貧困層はそもそもネットを利用することすら叶わ

党首討論会でしつこく「首相の歴史認識」を問う記者の馬鹿さ加減。

  首相の歴史に対する認識により一体何が変わるというのだろうか。戦前の日本政府の行動に関して「歴史的に」どう認識しているのか、という問いかけは全く意味のないことだ。  むしろ前提として「戦前は欧米の帝国主義が世界を席巻していたが、それに対抗した日本の外交をどう評価しているか」と問うべきだ。歴史を現代の常識で批判するのはお門違いも甚だしい。    それなら日本人記者は米国の大統領記者会見でも「奴隷制度に関してオバマ氏はなぜアフリカ諸国歴訪の途次に「謝罪」と「賠償」を表明しなかったか」と質問し、「オバマ氏の歴史認識を問う」と質問したらどうなるだろうか。  いや米国でだけではない。英国でも仏国でも蘭国でも西国でも、各国政府首脳の記者会見で問うてみることだ。そうすればそれがいかに馬鹿げた場違いなことか、骨身に染みて解るだろう。    歴史は歴史家の評価に委ねるしかない。現代の政治家が歴史に対して「謝罪」したり「憤怒」したりするのは滑稽そのものだ。なぜならかつての世界常識や国際通念は現代に通用しないものだからだ。  既に日韓基本条約は締結され、日中平和条約も締結されている。それでもなお「歴史認識」を論う中・韓の方こそ非常識というものだ。「千年恨みを忘れない」という朴大統領の言葉は情緒的な発言として理解できるが、政治家としての発言とはいえない。いい加減「反日」を政治マターに利用する姑息なことはやめるべきだし、マスメディアの記者諸君も反日国家に迎合した愚かな言辞を弄していることに気付くべきだ。

政治家に選挙戦度改革は出来ない。

  今日(7/4)参議院選挙が告示となるが、昨年12月衆議院総選挙の落選組が25人も立候補するという。参議院の独自性がますます失われ、政権政党と野党との勢力争いの中に埋没してしまったかのようだ。  かつては良識の府といわれ、衆議院とは異なる「緑風会」などの政党が一定の勢力を有していた。しかし今では衆議院のカーボンコピーといわれ、多義に亘る国民の声を吸収し、議案を慎重審議する二院制の機能は失われている。    選挙制度改革が叫ばれて久しいが、衆議院議員では最高裁判所により判決が下された「憲法違反」を解消するに到っていないし、参議院でもおそらく選挙終了と同時に「憲法違反」の訴えが起こされるだろう。  厳密にいえば、現在の安倍政権は「憲法違反判決」や「無効判決」を下された国会で選出され多数を得た政権だ。それでも制度として動いている限り、国会の機能を停止させ、政府機能を停止することは誰にも出来ない。つまり政治家の怠慢を責める具体策は何もないことになる。    政権にある政党にとって現行制度が好都合だと判断すれば、お座成りの「改革」でお茶を濁して済まそうとする。最高裁判所の「選挙無効判決」が下されようと、それにより国会機能停止がなされたことがないため、政治家が最高裁判決を実質的に無視しても良いこと解釈したとしても仕方ないだろう。  こうした「建前ごっこ」はたくさんだ。本格的に叡智を集め、国会の選挙制度改革を議論すべきだ。諸悪の根源は二院制が機能していないことにある。カーボンコピーなら参議院は不要だ。    今日から始まる参議院選挙で、候補者たちが半年前の衆議院選挙の当時と同じことを叫んでいたら、いよいよ参議院は必要ないと思わなければならない。反対に衆議院のやっていることを批判し、この国をより良い方向へ導くための理念と政策を語る選挙になるなら、まだ二院制の存在意義はあるだろう。  安倍政権の御先棒を担いで騒ぎまわる候補者は参議院には必要ない。国民の叡智を代表し、この国の現在よりも未来に強く光を当てる見識こそ候補者の声を通して国民に語られるべきだ。

投資の国内回帰を歓迎すべきだ。

 東芝がフラッシュメモリー工場の新規投資に踏み切るという。三重県四日市市にある東芝半導体工場にフラッシュメモリーの製造設備を300億円かけて建設するというのだ。  これまでは「円高」から海外へ生産をシフトするのが「賢い経営者」だとマスメディアは持て囃していたが、それは無能な経営者の安易な判断に過ぎなかった。円高だから海外に生産拠点を移せば企業競争に有利だ、というのは効率的な新規生産設備投資をしようとしない怠惰な経営者に他ならない。    中国へ生産拠点を移転させた企業経営者たちは概ね怠惰な経営者たちだ。彼らの怠惰の代償として国内労働者が職を失った。それでも企業が儲かりさえすれば良い。というのなら本社ともども日本から海外へ転出するが良い。  日本国内の労働環境を悪化させ、それでも企業利益さえ上げれば良いのだという「新自由主義者」たちとその信奉者たちとは相容れない考えだ。彼らは「グローバリズム」を隠れ蓑にする現代の経済帝国主義者たちだ。    トヨタも国内投資に踏み切った。豊田社長は「日本の労働賃金が10倍なら、生産性を10倍に上げれば良い」と発言をした。かつての高度経済成長期の経営者なら至極当たり前の経営理念をやっと取り戻したようだ。  バカなマスメディアは「アベノミクス効果だ」と東芝の生産設備投資の日本国内への回帰を安倍政権のヨイショの道具にしているが、円安効果よりも中国の反日暴動が経営者たちのボンクラ頭を覚ます適切な衝撃になったのだろう。    早くも円安物価高が国民生活を直撃している。マスメディアに安倍政権をヨイショする暇があったら、UターンのみならずIターン投資減税を政権に要請すべきだ。まず国内労働環境を改善しなければ何事も始まらない。  そのためには企業の海外移転で痛んだ雇用の創出を図るのが最優先だ。株式投機で「儲かった」と浮かれているのはバチンコで儲かったと浮かれているのと大差ない。それでは堅実な家庭を営むことは出来ないし、少子対策にもならない。マスメディアは少しはマトモで堅気の暮らしを見詰めるべきだ。

国益重視で外交は展開すべきだ。

  ブルネイユで開催中のアセアン諸国連合会議で日中外相会談は実現できなかったとして、日本のマスメディアが「異常事態だ」と評している。本当に異常事態が日中両国間で起こっているのだろうか。  中国は南シナ海の島嶼部に対して領土を主張してベトナムやフィリピンなどと軍事衝突の危機を孕む摩擦を起こしている。それに対してアセアン諸国連合は中国非難決議をし、中国もそれを受け入れざるを得なかった。    南シナ海と同様に中国は東シナ海でも日本の領土を強引に「中国領土だ」と主張して問題を起こしている。それを「棚上げに同意」しなければ日中会談はしない、というのは尖閣に領土問題が存在することを日本が認めよ、ということだ。何んという非礼な国だろうか。  かつて鄧小平氏が「尖閣諸島の問題は棚上げしよう」と唐突に言った時に、日本側は即座に「いや、棚上げすべき問題はありません」と回答しておかなければならなかった。それを怠った当時の日本政府首脳と外務官僚の無能さには言葉もない。    同じ轍を繰り返してはならない。中国が再び「尖閣諸島の問題は棚上げしよう」との中国側の主張を受け入れることが日中首脳会談の条件だというのなら、首脳会談は行われないでも一向に構わない。それによる不利益は日本側に何もない。  中国は崩壊寸前の中国経済を御存じないのだろうか。自国のことだが、既に輸出入利益を10倍にしていたことや、香港を抜け道として貿易額を4倍にしていたことなど統計数字の粉飾がバレ、経済成長の数字をいかに捏造しようと実態として国民生活がインフレにより圧迫され多くの国民が不況感を肌で感じ始めている。    ここ4,5年の中国の経済成長を牽引してきたのは国内不動産投資だった。それらはシャドー・バンクといわれる闇金融により調達された資金を投資したもので、シャドー・バンクの総額は464兆円とも500兆円ともいわれている。  その全額が不良債権ではないにしろ、シャドー・バンクに取り付け騒ぎが起こればたちまちすべてが不良債権化する、というのは米国のサブプライム・ローンや日本のバブル崩壊で実証済みだ。そうすると日本のバブル崩壊は150兆円ほどのバブルが崩壊したために起こったものだが、日本とそれほど経済規模の違わない、むしろ厳密に検証すれば中国経済が日本経済を抜いたというのすら捏造かもしれないが、その中国で464兆円もの金融

長州ファイブ。

  文久三年五月横浜の英国一番館の手引きによって長州藩士伊藤俊輔、井上聞多、山尾庸三、遠藤謹助、井上勝、の五人が英国へ密留学した。その立案は長州藩切っての英明な家臣周布政之助により、協力したのは桂小五郎と村田蔵六であったといわれている。  当時は江戸時代の鎖国例が厳格に守られ、日本人が渡航するなどとは考えられなかった。しかも長州藩は天下に尊王攘夷で名を響かせ、実際にその年の5月10日(攘夷宣誓の日)を以て馬関海峡を航行する外国艦船に砲撃を浴びせている。いわゆる馬関戦争の勃発だった。    事情を知らない商艦などが砲撃に驚いて立ち去ったが、やがて横浜にいたタンクレードなど米国の軍艦や仏国の軍艦が6月上旬に馬関を攻撃し、長州藩の完膚なき敗北に終わっている。  僥倖にも伊藤俊輔たちを乗せた英国商艦は四国沖を通る航路を選択していたため、馬関の砲台による攻撃を受けずに済んだ。    当初、長州ファイブは五人ではなく三人だったといわれている。長州藩は三人に五年間の英国留学を命じ、一人二百両の三人で六百両の費用を見込んでいたが、当時京にいて桂小五郎の従者として働いていた伊藤俊輔を井上聞多が何処からか「英国密留学を藩は画策している」と聞きつけて誘ってきた。それで五人に増えたが、横浜へ行き英国一番館(マディソン商会)に掛け合うと、当初提示していた一人二百両ではなく、一人千両を寄越せとフッ掛けて来た。  五人は落胆し、英国密留学を諦めるべきかと悩んだが、伊藤俊輔がついて来いと命じた。当時江戸で不要となった藩邸の処分に村田蔵六が当たっていることを知っていた伊藤俊輔が残りの四人を引き連れて長州藩桜田藩邸へ向かった。    理財に明るい村田蔵六は伊藤俊輔たちの窮状を知るや「御心配無用」と胸を叩いた。藩邸売却代金から五千両を伊藤俊輔たちの密留学に流用することを一人で決めてしまった。実際に村田蔵六は五千両を英国一番館に支払い、伊藤俊輔たちの英国密留学を実現させた。  周布政之助は「生きている機械の輸出入である」と英国密留学を称していた。藩には人材こそが必要で、長州藩が「攘夷」で沸騰していても、それは所詮一時の熱病に過ぎない、と炯眼で見抜いていた。幸いなことに当時としては長州藩で重用されていない村田蔵六という当代随一の洋学者が江戸藩邸の処分を一手に任されていたことだ。    藩士なら五千両もの流用