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民主党政権の危機を煽るマスコミ。

 鳩山政権の支持率下落が止まらない、とマスコミは喜んでいる。なにしろ大手マスコミが総力を挙げて長期キャンペーンを繰り広げた成果だからさぞ嬉しいことだろう。    しかし鳩山首相の「腹案」や「学べば、」等々軽い発言が目立つものの、普天間基地の移設に触れて苦労しているのだから、一部でも移設できれば沖縄県民は鳩山首相の応援団になってもよさそうな気がするがそうでもないという。それなら、鳩山首相は下手に沖縄の負担軽減なぞに言及しなければ良かった。そうすれば傷を負うこともなかっただろう。    小沢氏の「政治とカネ」疑惑なるものが「不起訴」により捏造された事件だったと結論が出ているのに、またぞろ「市民感情」が法と証拠による刑事訴訟法の検察判断を覆す暴挙をマスコミはしたり顔で称えている。とても法治国家のマスコミの取るべき態度とは思えない。法の下の平等をマスコミが否定してどうするつもりなのだろうか。しかし結果として小沢氏は捏造された事件と一年以上に亙る名誉を著しく棄損する報道により政治家としての信用を失墜させられ、80%を超える国民が小沢氏に否定的な判断を下している。    公務員法や人事法を検討する暇も与えずマスコミは民主党と国民を捏造されたスキャンダルの渦に放り込み、ろくろく公務員改革もさせないまま民主党政権を倒そうとしている。千から二千程度の人を電話帳で選び、電話を掛けて聞き取り調査するという簡易な、しかし誘導しやすい方法で調査した世論なるものを掲載しては普天間基地問題で立ち往生する鳩山首相を炙り出しては無能さを指摘する。国民は易々とマスコミに乗せられているが、沖縄の負担を軽減しようとした鳩山氏の善意が今の事態を招いている道理を誰も言わないのはなぜだろうか。自民党政権が続いていたら辺野古沖に埋め立てた基地ができることになっていたのにだ。    ともあれ、テレビも含めたマスコミの影響力は強力だが、米国は日本の指導者を冷徹に見極め、普天間基地問題で小沢氏と極秘に接触したのはしたたかだ。報道番組のテレビ司会者が「無党派層が増えて政治不信が高まっている、」等々のコメントをしたり顔で発言ているが、自分たちが散々政治を見世物にして政治家の威信を地に落としておいて何をか況やだ。  人は自分の観念で相手を見る。薄っぺらな人間には相手が大物でも薄っぺらにしか見えず、誰と会っても偉大な人物と看破

短編時代小説…「金棒引き」その1

 誰が言い触らしたのだろうか、越中屋の旦那の世話になるだなんて。  お梅は口惜しさを目元に滲ませて、お豊の好奇心に満ちた眼差しを睨み返した。確かに、お梅は両国東広小路の茶屋で茶汲み女として働いているし、この年明けからは薬種問屋越中屋の主人、徳左右衛門がわざわざ両国橋を渡って本所本町の水月に三日とあけず顔を出している。しかし、だからといって徳左右衛門がお梅を世話する、との話はこれっぽっちもありはしない。  お梅の睨んだ眼差しがいつになく厳しかったため、お豊は戸惑ったように「いや、ちょいと小耳に挟んだ噂だよ」と大仰に笑い飛ばした。もちろんお豊に悪気がないのはお梅にも分かっている。しかし、お梅の顔が強張るのはどうしようもなかった。  妾話に機嫌を損ねたお梅の形相に、井戸端にいた長屋の女たちは怪訝な思いにとらわれた。結構な話じゃないか、出来ることなら宿六と別れて自分があやかりたいよ、との羨望の眼差しを向けた。  貧乏暮らしの娘が囲い者になるのは世間に良くあることだ。決して隠し立てしたり、恥ずかしがったりすることではない。世話になる旦那の甲斐性にもよるが、妾は女中を置いた一軒家に住んで、趣味三昧の結構な暮らしが約束される。それならと、町の顔役に妾の口を頼む親だって珍しくなかった。中にはもっと凄まじい女もいて、妾になる約束をして支度金を頂戴した挙げ句、床入りに際して小水を故意に漏らす手合までいた。驚いた旦那から別れ話が出るとさっさと別れ、また別の妾の口を捜すのだ。貧乏長屋に暮らす娘にとって、囲い者になることはその境遇から抜け出すための手立ての一つでもあった。  しかし、お梅は違った。「良かったねえ、越中屋の旦那に惚れられて」と言ったお豊の言葉に、お梅はいつものように愛想笑いを返すことはできなかった。残りの瀬戸物を手早く洗い終えると、笊を抱えて井戸端を離れた。  朝餉の後片付けに集まっていた長屋の女たちは雑談するのも忘れて、下駄を鳴らして立ち去るお梅の後ろ姿を見送った。  越中屋は両国橋を渡った川向こう、薬研堀にある小体な薬種問屋だった。繁華な広小路から近いため、間口の狭い店にもかかわらず日本橋通り筋の老舗薬種問屋にも負けないほどの売り上げがあって内証は豊かだった。そのため主人の徳左右衛門は艶福家としても名を売り、五十の声を聞いても駒形町や鳥越明神に若い妾を囲っていた。その徳左右

短編時代小説…「金棒引き」その2

 二日後の暮れ六つ過ぎ、お梅は西平野町の長屋にいた。  茶屋が引けると脇目も振らず急ぎ足で帰り、念入りに隅々まで雑巾を掛けた。綿の抜けた母親の床は枕屏風と衣桁で隠し、兄の茂蔵も改まった一張羅に着替えていた。  越中屋徳左右衛門が正吉を伴なって訪れるという。一度は、固く断った。母親が明日をも知れない病の床に就いているのに、そうした話を持ち掛けるのは場違いではないかと言いながらも、お梅は涙が滲むのを覚えた。しかし、それこそ料簡違いというものだ、と徳左右衛門は諭した。  この夏を無事に凌いで、路地を渡る秋風に母親とともに一息つくことはないだろう。お梅は着替えさせた母親の骨の浮いた背中をじっと見詰めて、甘えるようにその背中に頬を押しつけた。いとおしかった。日一日と暖かくなり、年の瀬から年明けにかけて凍えるような寒さに怯えた日々は過ぎ去ったが、今度は頑健な若者ですら暑さに負けて夏痩せする季節が待ち受けている。母親の痩せ衰えた体では夏を越すことは叶わないだろう。元気だった頃には暇を見つけて、母親が手を入れてきた猫の額ほどの庭に雑草が新しい芽をふいていた。  徳左右衛門は仙台堀の河岸道まで駕籠で来た。路地の入り小口で降りると、駕籠に付いて来た正吉と二人が先に立ち、祝いの品を携えたお供の小僧を五人ばかり従えて長屋の路地へと入って来た。羽織袴に威儀を正した徳左右衛門の姿はもとより、仰々しい供連れは裏店の貧乏長屋には場違いのため、すぐに井戸端の女たちの目に留まった。 「これはこれは、甚兵衛長屋の差配人で重蔵と申しやす」  と、大家の重蔵が飛び出て来た。 「お梅の家は確か、」  正吉が言い掛けると、重蔵は「へい、お梅ならこの二軒奥で、」と即座に応えた。そして「どちら様で……」と言いたそうに道を開けもしないで二人を眺めた。 「私は薬研堀で薬種問屋を営む越中屋徳左右衛門、この者は六間堀に住まう美濃屋正吉と申します。以後お見知り置きの段、宜しくお願い申し上げます」  そう言うと、徳左右衛門は折り目正しく腰を折った。  長屋暮らしの者にとって、大店の主人とまともに口を利くことなぞおそらく生涯に一度もない。まったく異なる世界に住んでいる。大家は呆然と顔を上げたまま腰だけを屈めた。 「へえ、それはそれは、」  と言葉にもならないことを言い、立ち塞がっていた路地をあけた。  暗くなるまでに済ましてしま

「沖縄の負担軽減」は口先だけだったのか。

 徳之島伊仙町の大久保町長が出演して、テレビで「鳩山首相に信念がないから混乱している」との談話を述べた。出演したテレビコメンテーターの元検事の老人は鳩山首相をケチョンケチョンに貶した。ここ何週間かはテレビを見ないようにしていたが、偶々点けたテレビから流れていた番組がこれだ。フリーに転身した勢いが良いだけの元アナウンサーも鳩山首相をこれでもかといわんばかりに非難した。    この国は自由で良い。誰が何を言おうと銃殺刑にならない。因果関係を無視して特定の政党をマスコミが総攻撃しても、表現の自由により許されるのだ。  外国なら自社の立場は〇〇政党支持だ、と表明した上で論駁する。それが本来の自由というもので、公正・中立を装って特定の政党を攻撃するのはフェアではない。    徳之島の三町長は米軍基地の徳之島移設は断固反対だという。、沖縄は普天間基地を県外移設せよという。「うるさくて、治安が乱されて、自然環境が破壊され、文化まで破壊される」というのがその主な理由だ。日米安保条約はそれぞれの米軍基地を抱える自治体が地域エゴを丸出しにすれば成り立たない。徳之島の住民の意見によれば、現在米軍基地を受け入れている地域は文化が破壊され、環境が破壊され、治安が極度に悪化しているわけだ。    マスコミも鳩山首相を期限付きの袋小路に追い込んで、得々として喜んでいる。これ見よがしにテレビも沖縄での鳩山首相と地域住民の意見交換会を繰り返し流し、徳之島の三町長の拒否対談を何度も流している。これで日本国民は米軍移設に反対すればマスコミが好意的に報じて何度もテレビ画面に登場できると学習した。国内移設は何処であろうと、徳之島住民の極端な地域エゴに押された町長たちの頑なまでの意思表明により困難になった。    それは恐らく米軍だけにとどまらないだろう。自衛隊基地の移設にも同様な困難がたちどころに表面化すると覚悟しなければならない。民主党を追い詰めて自民党政権の復権を願ってマスコミは歩調を合わせたのだろうが、自民党が復権してもこの困難さは解消しない。地域エゴで基地の移設が阻止できると学習した国民は、どの地域も迷惑至極な軍事基地を受け入れることはない。国防の将来のあり方について、自民党国防族と軍事・基地利権団体と国防官僚は再検討しなければならなくなった。    地上に基地を持てないとなれば、日本は中国並みに空

iPadはそれなりの役割を果たす。

 本は紙でなければならない、とするのは本をどのように見るかによる。あるいはどのように扱うのか、文学作品を読むには伝統的な紙の方が良いと思うが、出版予定のない作品を書き溜めている者にとっては電子書籍も手軽で良いのではないかと思う。  試みとして過去に書き溜めた作品のいくつかを既にこの欄で公開しているが、HDDの闇に眠っている作品に光が当たるのは悪い気持ではない。書き手もプロとアマとの垣根を越えて、自由に行き来できるのも電子書籍の利点ではないだろうか。    その反面、電子書籍には様々なフィルターがないため、たとえば出版社の採算が取れる作品か、編集者による読み手が頭痛を催さない言語配列になっているかとの校正や、流通段階の書籍取扱業者を通して読み手の需要動向が書き手に反映されるか、等々の心配がある。その裏返しで紙書籍の利点はそうした点にあるが、同時に売れない書籍はたとえ英知と慧眼が潜んでいても世間の光を当ててもらえない欠点もある。    次に印刷しないまでも資料として利用するもので、毎年のように更新されるものは電子書籍に適している。ただiPadがすべての紙書籍を凌駕すると考えるのは間違いで、ディスプレイ表示は紙書籍のように一度に数冊のページを机上に広げることはできない。資料を検討しながら一つの論文に仕上げるにiPadはあまり適していない。日常にPCを使っている私も二台、三台のPCを机上に並べて同時に使用するのも珍しいことではない。    物事を対立的に考えるのは特徴を浮かび上がらせるのには有効だが、あまり現実的ではない。iPadはそれなりに存在場所を確保するだろうし、紙書籍も消滅することなく立場を脅かされつつも存続するだろう。ただ気になるのは携帯をいじくる若者に会話が少ないことだ。喫茶店で向き合った男女が碌に会話をしないで2.5インチほどの携帯画面に目を釘付けにしている光景をよく見る。それでは様々な会話術と会話の中に組み込まれた気持ちの読み取りなどのでない社会人が増えるのではないかと心配になる。    インターネットの掲示板などに乱暴な言葉や相手を気遣わない言葉が氾濫しているのは匿名性もさることながら、言葉の訓練がなされていないのではないかと心配する。それは自己表現力の低下に繋がり、碌な論文一本書けないばかりか、恋人を惹きつけ魅せる言葉の語彙を獲得することもできないことに

読売新聞ー地球を読むーを読んで

 今朝の読売新聞の一面と二面に掲載されている「地球を読む」を読んでなるほどという気がしたが、これもマスコミ特有の対立を煽る筋立ての読みものかと頷いた。  書いているのは東大教授の伊藤元重氏だ。論旨は現在の国債残高が膨大な額に達しているが、それは次世代に重いツケを残すものだ。しかも日本の事態が深刻なのは国債を持っているのが外国投資家でなく、国内の郵貯や銀行や生保などということだという。    日本は国内で国債が消化されているから将来国債償還するとなって増税すると、負担はすべての国民に及び、国債を持っている人たちへ支払われることになるというのだ。借金でも借りた人が貸した人へ返済するのだから至極まっとうな議論だが、伊藤氏の考察は世代間対立へ進む。つまり国債を持っているのは現在世代だが、税負担して支払う理は次の世代だ、というのだ。外国の投資銀行などに国債を引き受けてもらって破綻した国家、たとえば露国やアルゼンチンなどは一部棒引きしてもらったが、国内金融市場から調達している日本では棒引きしてもらうわけにもいかない、すべてが世代間の資金移動になる、というのだ。  どこか変だと思いませんか。    世代間対立というのは生きている世代間で起こることを指す。つまり高額な年金を頂戴する世代がいて、それを負担する貧しい勤労世代が存在する。しかも勤労世代が負担して支払っている税は過去の饗宴のツケを支払わされている、とした場合に典型的なステレオタイプとして成立する。  しかし現実は生きている各世代に平等に負担が重くのしかかっている。かつて70歳以上の医療費は無料だった時代がある。団塊世代が三十代の頃の話で、厚生省は黙っていても毎年増加する保険料収入に笑いが止まらず、その処分の一環として70歳以上の医療費を無料にしたのだ。  キャリア官僚は同じ席を五年以上と温めることはない。自分がその席に座っている間だけ問題が起こらなければ良いし、起こっても顕在化しなければないのと同じだから先送りする。結果として何が起こったか。膨らむ風船を次から次へと送る罰ゲームのように、問題が巨大化して国民に可視化して初めて分かることになる。グリーンピアなどがその典型だ。採算性のない巨大施設が問題なのは勿論だが、それを建設可能とする法律を誰が作ったのか、誰が実際に土地を選定し誰がその土地で採算が合うと事業予測したのか、そし

短編時代小説…「人待ち橋」

 夕暮れて風が出た。  竿先で幟が千切れるほどはためいている。 「お菊、もう店仕舞いとするか」  いつも仕事の退ける五つ半過ぎから判で押したように姿を見せて、牛の涎のように長っ尻を決め込む木場人足の佐平が腰を上げたのを汐に長兵衛が釜場から声をかけた。氷のように冷たくなった川風に吹かれて黄昏の茶店で一休みする客もいないだろう。 「あいよ。雲行きが怪しくてどうやら雪になりそうな塩梅だから、早仕舞いした方が良いかもしれないね」  お菊は店先の縁台を雑巾で拭く手を止めて、声のした方へ視線を遣った。  しかしすでに夜の闇が店の中へ忍び込んでいて、長兵衛の姿は見えなかった。 いくら拭いても凍てつくような川風が砂埃を巻き上げ、縁台ばかりか三畳ぽっちの奥座敷さえざらついた。 「どうだ、佐平はお前の手を握ったりしないのか」  釜の火の始末をつけながら、長兵衛は屈み込んだままの声でお菊をからかった。  すでにお菊も二十と三だ。世間では立派に年増で通る。からかうどころではなく、行かず後家を心配しなければならない齢だ。しかし、お菊の心の奥に秘めた人がいることは最初に出会ったときから分かっていた。だてに人生を六十年近くやっているわけではない。  あれは二年半前、陰鬱な天保から弘化を経て嘉永へと年号が変わった年だった。長兵衛は長年連れ添った女房のお重を冬に急な流行病で亡くし、自身も足腰が弱ってきたこともあって三十年から預かってきた十手を返上したばかりだった。  お重が長兵衛に口煩く始末していてくれたお陰で、板囲いの床店ながら売りに出ていた永代橋袂の火除地の角に建つ茶店の沽券を手に入れることができた。茶店で茶を淹れるだけなら楽隠居だろうと思って始めたが、三日とたたずして顎が出た。岡っ引稼業と違って立ち仕事の客商売がこんなにも体と気を遣うものかと驚いた。  店の裏のわずかな空き地に独り佇んで、初夏を思わせる日差しのきらめく川面に花筏が流れるのを眺めて溜息をついた。誰かを雇ってやらせるほど茶店は稼ぎの上がる商売ではなく、しかもお重の残してくれた蓄えもすっかり底払いしてしまった。もう一度ため息を吐こうと腹を膨らまし肩の力を抜くと、すぐ隣から「ふっ」とかわいい溜息が聞こえた。  首を巡らすと火除地に建つ床店の裏のわずか一尺ばかりの隙間に若い女が立ち、遥か江戸湾に視線を泳がせていた。すっかり気落ちしている

時代小説…「消えずの行燈」その1

 誰ともなくあくびを洩らして、手炙りに背を丸めた。  絶え間なく軒先から落ちる雨垂れが油障子越しに聞こえていた。  花見時の浮かれ気分に水を差された粉糠雨の降る肌寒い夜だった。  宵の口から音もなく降りしきり、左平治は竪川二之橋詰めの自身番で無聊を囲った。  花冷えというのか、手炙りに黙ったまま両手を翳して、番太郎と書役の三人で炭火を見詰めていた。こんな夜は事件の一つも起こらず、穏やかに時が過ぎてくれれば良いのだが、と左平治は内心ひそかに願った。四十の坂を越えた頃から膝の塩梅が思わしくなく、ことに雨模様の日にはしくしくと痛むのだ。  そんな折り、忙しく水溜りを駆ける足音とともに長崎町の番太郎が蓑もつけずに駆け込んできた。引き開けた腰高油障子の桟にすがると、息も絶え絶えに体を大きく波打たせた。 「夜鷹蕎麦屋の親爺が南割下水の注ぎ口の河岸で殺されちまった」  やっとのことでそう言うと、番太郎は上がり框に両手をついた。 南割下水とは御竹蔵の練塀から小普請組屋敷の連なる武家割を断ち割るように真っ直ぐに東へ延び、横川に注ぐ文字通り下水の流れる堀割のことだ。凶行のあった場所は本所南割下水が横川に注ぐ手前、橋袂の河岸道だった。  水の滴るまま壁に懸けられている濡れそぼった蓑を纏うと、左平治は鉄砲玉のように自身番を飛び出た。笠を着けても粉糠雨は執拗にまとわりつき、顔のみならず月代まで濡れた。目の前の竪川河岸を大川に背を向けて東へ三町ばかり駆けると横川に突き当たる。その河岸道を左へ曲がって横川沿いに行けば長崎町だ。つごう七、八町ほどの道のりだが河岸道は泥を捏ねたようにぬかるみ、幾つもの水溜りができていた。左平治は素足に雪駄を履いていたが、泥饅頭と見分けのつかないほどに汚し後撥ねを散らして駆けた。その後を下っ引の富吉が泥塗れになって続いた。  本所相生町四丁目の岡っ引左平治が下っ引富吉を連れて千葉街道は竪川のほとりの現場へ駆け付けたのは五つを少しばかり廻った頃だった。  長崎町の番太郎の言った通り、南割下水が横川に注ぐ橋袂に十数人もの人だかりがして、ぼんやりと掛行灯をともした担ぎ屋台が放置されていた。吐き気を催させるほど生臭い血の匂いが濃厚に立ち込めていた。六尺棒を手にした町役の者たちによって野次馬は遠ざけられ、骸は屋台に頭を向けてうつ伏せに倒れていた。 「ちょいと御免よ」  と人垣を