CO2温暖化というプロパガンダを見抜く力。

 ネットのいろんな「板」に東京の過去60年間の平均気温の変化が掲載されて、地球温暖化説が論破されている。
-東京の8月の平均気温-
  1960~1979年……27.6℃
  1980~1999年……27.2℃
  2000年以降 ……27.5℃
 これが事実だが、こうした事実に基づいた議論がテレビなどマスメディアでは一切行われていない。ただ「猛暑」だという言葉だけが踊って、地球温暖化を国民に広く印象付けようとする報道が氾濫している。

 なぜそうなってしまったのだろうか。少しでも冷静な思考回路をお持ちの人なら、義務教育で地球誕生以来46億年の歴史の中で、「氷河期」と「間氷期」が数回繰り返されたことを知っている。だが「氷河期」と「間氷期」の正確な定義を覚えている人は少ない。
 「氷河期」とは地表に「氷河」が存在していた期間で、「間氷期」とは地表に「氷河」が存在していない期間を表している。そうした意味で、現在は「氷河期」で、氷河期でも地表の約10%以下が氷河に覆われている「温暖期」と地表の30%以上が氷河に覆われている「小氷期」とに分かれるという。

 現在は氷河期の温暖期に当たり、縄文時代の青森県・三内丸山遺跡は海岸から遠い内陸部にあり、稲作まで行われていたことから、当時は現代よりもはるかに暖かかったと思われる。
 その反対に150mも海退した時期があったことも判明している。つまり、それは寒冷期だったと思われる。つまり地球の気候変動はCO2濃度といったものに左右されるのではない。温暖化ガスという観点からいえば、大気中に最も多い温暖化ガスは水蒸気だ。大気中に平均で約50%の濃度があり、o.o3%の濃度でしかないCO2よりも気候に与える影響は大きいと思われる。

 気候変動は何年単位で見るかによっても異なる見解が出る可能性がある。CO2温暖化を唱える人たちは、ここ百年の温度変化を問題にしているが、検討スパンを千年単位に変えれば平安時代の温暖期と、冷害による飢饉がたびたび起きた江戸時代の寒冷期が検討視野に入るだろう。
 ともあれ長期的な気候変動の短期的な百年ほどを切り取って、たまたまCO2濃度変化と相関関係があるかのような変化を見つけてヒステリックに大騒ぎするのはどうかしている。それでは温室効果ガスの増減がいかなる影響を与えるのか、を考察してみよう。

 大気中に最も多く存在する温室効果ガスは水蒸気だ。その存在を私たちは湿気として意識している。日本は周囲を海に囲まれて湿度の高い国だが、反対に湿度の低いところとして知られているのは砂漠だ。
 砂漠の気候がいかなるものか、ご存知だろう。太陽光に照らされる昼間は灼熱地獄になるが、太陽が沈んだ夜には氷点下にまで気温が下がることも珍しくない。つまり大気に温室効果ガスが殆どない砂漠では、大気が毛布を持っていないのと同じだ。CO2の温室効果により気候が温暖化している、と唱える連中はCO2を削減して地球上の気候が砂漠のように昼夜の寒暖差が激しくなるのを望んでいるのだろうか。

 CO2温暖化説を声高に叫ぶ人たちはちょっとしたことにイチャモンをつけるチンピラに似ている。擦れ違いざまに肩が触れた、とイチャモンをつけて針小棒大な要求を繰り出す。
 CO2は確かに温室効果ガスの一つだ。CO2を削減せよ、と要求し続けるなら、最終的に人類の呼吸まで問題視しなければならなくなる。なにしろ人はCO2濃度0.03%の空気を吸って、CO2濃度4%の呼気を吐く。

 CO2排出ゼロ社会とは、すべての動物の存在を許さない社会だ。こんなバカげた社会を実現しようと、マスメディア関係者たちも政治家たちも最新流行のセリフのように主張している。それが環境を良くすることだという。
 なぜ荒唐無稽な利権問題だということに彼らは気付かないのだろうか。彼らは少しでも自分の頭で考えているのだろうか。他人の受け売りを、恰も自分が発見した真理でもあるかのように主張する愚かさに気付いてないのだろうか。義務教育で重視すべき教育とは、自分の頭で考える訓練だ。小学校低学年で行うべきは英語教育ではない。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。